牧師 田村 博
2021.4.11
「エマオ途上のキリスト」 イザヤ書27:12~13 ルカによる福音書24:13~35
先週は、わたしたちはイースター礼拝をおささげいたしました。あわせて、新しい年度がスタートしました。
教会学校では進級式が行われ、教会では新しい年度の役員、教会学校教師、そして奏楽者の任職式も行われました。今年度の年間聖句は、コロサイの信徒への手紙3章16節の御言葉です。
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。」
「キリストの言葉」が、わたしたちの内に豊かに宿る時、そこに言葉を超えた大きな変化が生じます。「キリストの香り」が、その人の内から滲み出て香ばしい匂いを辺りに漂わせます。ちょうど強すぎもせず弱すぎもせず、心地よい香水のように…。落ち込み、沈み込みそうになっている人々の心をハッとさせ、励まし、立ち上がらせるようなことが起こります。
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿る」
神様は、わたしに、あなたに、この御言葉を成就しようとされているのです。そのために最も大切なことは、主イエスと共にいることです。わたしたちが、特別な香りのする部屋にしばらくいて外に出たとすると、いつのまにか、わたしたちの体にもその香りが染みついているという経験をします。この茅ケ崎教会の礼拝堂で礼拝をおささげし、外に出ても、すれ違う人々が、「あっ、茅ケ崎教会の匂いだ」とはわからないでしょう。嗅覚のすぐれた犬ならば、わかるかもしれません。でもそれは、建物の香りであって、キリストの香りではないですね。しかし、相通じるところがあります。つまり、復活の主、今、生きておられる主イエスと共にいることによって、キリストの香りが、キリストの言葉が、わたしたちの内に新たに宿るということが起こるのです。
本日の聖書箇所は、エマオ途上にて、復活の主イエスと出会った2人の弟子たちのお話です。彼らは、復活の主イエスと共に時を過ごしました。その大半は知らないうちに、です。その結果、彼らの内には、どんな嵐が吹いたとしてもなくならないほど、いくら時間がたっても決して消えないほど、キリストの言葉がしっかりと宿ったのです。それゆえ、エマオ途上のこの出来事は、「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。」という御言葉と共に新年度を歩み出そうとしているわたしたちに、とても大切なことを教えてくれます。
13、14節をご覧ください。
「ちょうどこの日、2人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」
「ちょうどこの日」とは、直前の24章1~12節に記されている出来事のあった「日」です。週の初めの日です。主イエスが十字架にかけられ、墓に葬られてから3日目のことです。2人の弟子が、「エルサレムから60スタディオン離れたエマオという村へ向かって」歩いていました。60スタディオンとは、約11kmです。茅ケ崎から藤沢駅までが、ちょうど10kmほどですので、その少し先、といったぐらいの距離です。彼らはある出来事について「話し合って」いました。15節に繰り返し「話し合い論じ合っていると」とありますので、かなり熱を込めて論じ合っていたのでしょう。
ある海外のクリスチャンが、日本、韓国、台湾のキリスト教会の特徴について、こう言ったそうです。
「韓国の教会の特徴は“祈り”です。台湾の教会の特徴は“賛美”です。そして日本の教会の特徴は“会議”です。」と。
思い当たるところがあるかもしれません。それゆえ、エマオという村に向かって歩き、論じ合っていたというこのメッセージは、特別に日本の教会に向けて語られているメッセージと言えるかもしれません。半分冗談ですが…。
15節をご覧ください。
「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。」
熱心に論じ合っている2人に対して、主イエスは、「どうしようもない奴らだ」と怒って追い越していったのではないのです。そのまま抜き去ることも簡単に出来たでしょう。しかし主イエスは、歩調を緩められ、ご一緒に歩いてくださったのです。
主イエスは、神の御ひとり子であるにもかかわらず、この地上で、わたしたちとまったく同じ肉体を持つお方としてお生まれくださり、弟子たちと共に、親しく歩んでくださいました。そればかりではなく、人々の、自分勝手な行いの為に泥沼にはまり込んで動くことができなくなるようなところにも、身を置いてくださったのです。主イエスは、自ら泥沼の中に沈みながらも、助けようと決めた人々を、下から支え、そこから救い出すために、ご自身の命さえも惜しまず差し出されたのです。それが十字架です。
一緒に歩いていても、それが主イエスだとは2人の弟子たちは気づきませんでしたが、そのような、気づかないようなわたしたちであるにもかかわらず、歩調を合わせて、ご一緒に歩いてくださったのです。
17節をご覧ください。
「イエスは、『歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか』と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。」
主イエスは、2人の話が分からなかったからお尋ねになったのではありません。すべてをご存じでした。しかしあえて、尋ねられたのです。それは、2人が自分の言葉で、自分のことを言い表すことを由とされたからです。それゆえ、暗い顔をして「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」と切り返されても、主イエスは「どんなことですか」と重ねて尋ねられたのです。
主イエスの問いかけに応じる中で、2人は、自分たちが、主イエスをどのようなお方だと思っているのかについて、あらためて心に呼び起こし、それを自分の言葉で語りました。19節にあるように、彼らは主イエスのことを「神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者(=神から遣わされ、神のみ旨を語る者)」と考えていました。さらに21節には、「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださる(=地上におけるイスラエル民族の解放者)と望みをかけていました。」と答え、自分たちが主イエスはそのようなお方だと考えていたと告白しています。
しかし、それで終わりではありませんでした。彼らは、同時に、婦人たちの言葉、他の弟子たちの証言をそのまま心に留めていました。祭司長たち、議員たちが十字架につけてしまったこと。しかし、3日目の今日、信じられないことがあり、どのようにとらえて受けとめたらよいのかわからないという思いをそのまま言葉にしています。それが22、23、24節です。
「ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
言葉にして語ることを通して、自分が何を考え違いしていたのか、にもかかわらず、神様は何をなしてくださったのか、それらが明らかに整理されていったのです。
わたしたちも、正直に、自分自身がどのような者であったのか、言葉にして語る必要があります。何一つ、飾る必要はないのです。まったく分かっていなかった自分。にもかかわらず、神はいろいろなことを通してご自身の救いの御業をなしてくださるのです。
25、26節の主イエスの言葉をご覧ください。厳しい言葉です。
「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
そのままでは、迷路に迷い込んだままで同じところをグルグル回り続けてしまうということを、主イエスはご存じでした。その迷いから一歩踏み出すために本当に頼りになるものがあるのです。それが聖書です。
27節。
「そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」
「モーセ」は、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から救い出した指導者です。罪の泥沼に留まることを主イエスは由とされません。「すべての預言者」とありますが、その中でも特にイザヤとホセアについては、必ずふれたに違いありません。
イザヤ書53章1~12節。
「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ
道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。
苦役を課せられて、かがみ込み
彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように
毛を刈る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。
彼は不法を働かず
その口に偽りもなかったのに
その墓は神に逆らう者と共にされ
富める者と共に葬られた。
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは
彼の手によって成し遂げられる。
彼は自らの苦しみの実りを見
それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。」
ホセア書6章1~2節。
「さあ、我々は主のもとに帰ろう。
主は我々を引き裂かれたが、いやし
我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
二日の後、主は我々を生かし
三日目に、立ち上がらせてくださる。
我々は御前に生きる。」
いずれも主イエスご自身について書かれている御言葉です。その預言の成就の目撃者として証言することを、主なる神は、今、あなたたちに望んでいるのだと主イエスは語られたのです。
28節の「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。」は、少し不思議な感じがします。29節には、「無理に引き止めた」とも記されています。主イエスとの出会いは、かけがえのないものであること、そして、“旅人をもてなす”ことへとつながっています。2人は、もちろん、目の前におられるお方に、“何か”を感じたでしょう。でも主イエスだとわかっていたから引き留めたのではないのです。自分が相手と共にいることを必要としているのと同時に、相手への配慮・愛がここで生まれているのです。キリストの言葉が内に蓄えられてゆくと、他人を愛する思いも、自然なかたちで加えられます。
主イエスは、家に入られました。そして、30節。
「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」
最後の晩餐の主イエスのお姿が、目の前にいらっしゃる一人のお方と、パッと重なった瞬間でした。そのお姿が見えなくなっても、まったく少なくなることのない、恵みが彼らの内にとどまりました。自分たちのなすべきことは何なのか、彼らにははっきりとわかりました。議論することでも、エルサレムから離れることでもなく、主イエスは生きておられるという事実を知ったのです。そして、その事実を証しすることこそ、自分たちのなすべきことであると知り、確信をもって急ぎ足でエルサレムに向かったのでした。そこで、すでに復活の主はシモン・ペトロにもご自身をあらわされていました。
2人の証しは、特別なメッセージを他の弟子たちに与えました。
御言葉と聖餐。
これこそ、礼拝の2大要素なのです。
初代キリスト教会の礼拝についての様々な資料が発見されています。その最も古いものは、礼拝が「御言葉の礼拝」と「聖餐の礼拝」という2つからなっていたことを伝えています。わたしたち茅ケ崎教会も、この2つを大切にしています。しかし、実際に聖餐式が行われるのは、毎月第一主日とイースター、ペンテコステ、クリスマスなどです。大切な聖餐をどうしたら…。そう考える中で、一つの思いが与えられました。御言葉に仕える説教の後に、お祈りがあるではないか、そこで、聖餐の恵みを受けとることはできないだろうか。幸か不幸か、新型コロナウイルス流行対策で、配餐をしない聖餐を経験しているわたしたちです。目を閉じて、主イエスご自身のなしてくださった、あの最後の晩餐を心の中に思い起こすことができるはずです。このエマオ途上の主イエスを心に刻むこともできるはずです。
そのことを通して、主は「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。」の御言葉を、現実のものとして受けとろうではありませんか。エマオ途上のこの出来事を通して。