2018年8月12日 礼拝説教「破れ口に立って祈る」

エゼキエル13:1~7
ローマの信徒への手紙9:1~5

櫻井重宣

ただ今、エゼキエル書13章1節~7節に耳を傾けました。エゼキエルは、イスラエルの歴史のなかで最もといってよい程、暗い時代に生きた預言者です。当時、イスラエルはバビロンという大きな国との戦いに破れ、国土は荒れ果て、長年精神的なよりどころであったエルサレムの神殿が破壊され、それだけではなく、多くの人がエルサレムから千数百キロ離れたバビロンに捕虜として連れて行かれました。そのバビロンで50年近く捕虜としての生活を余儀なくされることになる、そういう時代でした。今からおよそ2600年前です。

 詩編にこういう詩があります。

「バビロンの流れのほとりに座り シオンを思って、わたしたちは泣いた。」

シオンというのはエルサレムのことです。千数百キロ離れ、いつ戻れるのか分からないエルサレムを思って、捕囚の民はバビロンの川のほとりに座って毎日毎日泣き続けたというのです。

ところで、エゼキエルはエルサレムの神殿に仕える祭司の息子でした。彼は少年時代、バビロンとの戦争を体験し、近い将来、自分もそこで神殿のご用をすることになっていた神殿が崩れ落ち、バビロンに捕虜として連れて来られてしまいました。そして、エゼキエルは捕囚の地、バビロンで神さまから預言者としての働きをなすよう促されました。ですから、エゼキエルは暗い時代、捕囚の地バビロンで預言者として働きをなした人なのです。

今、司会者に13章の1節~7節を読んで頂き、耳を傾けましたが、もう一度読んでみましょう。

《主の言葉がわたしに臨んだ。人の子よ、イスラエルの預言者たちに向かって、預言しなさい。自分の心のままに預言する者たちに向かって預言し、言いなさい。主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。災いだ。何も示されることなく、自分の霊の赴くままに歩む愚かな預言者たちは。イスラエルよ、お前の預言者たちは廃墟にいる山犬のようだ。お前たちは、主の日の戦いに耐えるために、城壁の破れ口に上ろうとせず、イスラエルの家を守る石垣を築こうともしない。彼らはむなしい幻を見、欺きの占いを行い、主から遣わされてもいないのに、『主は言われる』と言って、その言葉が成就するのを待っている。お前たちが見ているのはむなしい幻、お前たちが口にしているのは欺きの占いではないか。わたしが語ってもいないのに、『主は言われる』と言っている。》

「人の子よ」というのはエゼキエルよ、という意です。イスラエルの預言者たちというのは、バビロンの地で預言者としての働きをなしていた人たちです。バビロンの地で預言者として働きをなしていたのはエゼキエルだけではなかったのです。けれども、神さまは、イスラエルの預言者たちは、自分の心のままに預言している、自分の霊の赴くままに歩んでいる、廃墟にいる山犬のようだ、主の日の戦いに耐えるために、城壁の破れ口に上ろうとしない。イスラエルの家を守る石垣を築こうもしない、彼らはむなしい幻を見、欺きの占いを口にしているというのです。預言者は神さまから語るように促された言葉を語ることが求められるわけですが、神さまは彼らを遣わしていない、というのです。さらにもう少し先には、平和がないのに、彼らは『平和だ』と言ってわたしの民を惑わしている、というのです。

こうした預言者たちが大きな声で、平和だ、平和だと語っている中で、エゼキエルに求められたことは、城壁の破れ口に上れ、イスラエルを守る石垣を築け、ということです。とくにわたしたちが思いを深くしなければならないのは、城壁の破れ口に上れ、とエゼキエルが促されていることです。「城壁の破れ口」というのは城壁の一番崩れやすいところです。敵が攻めるとき、城壁の破れ口を探し出し、そこから攻め入ります。預言者はその城壁の破れ口に自分の身を挺し、城壁の中にいる民を守らなければならないのです。もしかすると、敵がその城壁の破れ口を探し出し、そこから攻め入ったとき、真っ先に犠牲になるかもしれない、けれども、その破れ口に上らなければならない、とエゼキエルは神さまから促されたのです。

先日の西日本の豪雨で200名を越える方が亡くなり、被害の大きさが明らかになってきて、わたしたちの心は安まらない日を過しています。とくにこの炎天下で被災された方々、救援作業をしておられる方々の大変さを思わされます。エゼキエルは城壁の「破れ口」と言いましたが、洪水のことでいうなら、堤防が大雨のため決壊するとき、一番弱った個所から決壊します。それが破れ口です。

今から71年前、わたしが住んでいた岩手県の一関という町で、町を流れていた磐井川が氾濫し、小さな町で600人亡くなりました。父が牧師であった一関の教会の人も10数名犠牲になりました。ですから、今報じられている被災地の様子はわたしが小さい時経験したことと重なるので他人事と思われません。水害を経験したからでしょうか、少年時代から、堤防が決壊する時、一番弱い破れ口からだ、その破れ口を、身を挺して守る、それが町を守ることになる、ことを繰り返し聞きました。小学校に行くと、オランダの一少年が堤防の「破れ口」に自分の身を挺し、町を守ったことが記されていて、心を熱くしました。今回はあまりの雨の多さで、水が一気に堤防を乗り越え洪水になったように思われますが、「破れ口」が次から次と決壊し、大惨事となったものと思われます。

神さまは、エゼキエルに預言者は「破れ口」に身をおくべきだ、というのですが、もう少し当時のことに思いを深めたいと思います。

 エゼキエル書を読んでいますと、エゼキエルが神さまの霊に導かれ、ある谷の真ん中に連れ出されたことが記されています。そこにはいたるところに骨が、それも枯れた骨が散らばっていました。こうした幻が示されたということはエゼキエルのまわりにいた人々は、バビロンに捕虜として連れて来られ10年、20年、30年とその地で生活を余儀なくされていた人々は、みな生きる希望を見失っていた、そういう時代であったのです。

 また、当時の為政者のことを語った個所には、「イスラエルの牧者は、自分自身を養い、群れを養わない。乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠る。弱い者を強めず、病めるものいやさず、傷ついたものを包んでやらず、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めない」とあります。

 わたしたちの時代はいかがでしょうか。先日の西日本を襲った豪雨で多くの方々が亡くなり、たくさんの方々が途方にくれています。また、最近、親が自分の子を虐待し、小さな命が失われることが相次いでいます。象徴的なのは、この春小学校に入学予定の船戸結愛ちゃんが入学前に虐待で亡くなったことでした。とくに6月はじめ、結愛ちゃんが亡くなる前書いていた文が公になり、多くの人が衝撃をうけました。6歳になるかならないかの子どもが自分で朝4時に起きて、字の練習をし、「もうパパとママにいわれなくても しっかりじぶんから きょうよりも もっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい おねがい ゆるして ゆるしてください」という文を書きました。

 2週間前の新聞の歌の欄では、おひとりの選者が選んだ10首のうち最初の6首は結愛ちゃんのことを歌った歌でした。そうちのいくつかを紹介します。

《「助けて」の言葉知らぬ子はひとり「ゆるして」だけを抱いて眠れる》 

《叱られて叱られてなお親が好きゆるしてくださいひらがなの文字》

《五歳児が覚えた文字で父母に乞う「ゆるしてくださいおねがいします」》

《君は何も悪いことなどしてないとか細き体抱きしめたきに》

 歌の作者だけでなく、この幼子に何もできなかった苦悩をわたしたち一人一人思わされています。数日前、結愛ちゃんのことに心を痛め、何かしなければという思いで教会を訪ねてこられた方がいました。初対面の方でした。

実は、「城壁の破れ口に上る」ということと通じることかと思いますが、3章で、エゼキエルは預言者の務めとして神さまから、イスラエルを見張るという使命を与えられました。どういう働きかというと、どんな悪人であっても、預言者は悪人に警告して、悪の道から離れ、命を得るように諭さなければならないというのです。もし、諭さないまま、悪人が自分の罪のゆえに死んだ場合は、責任は「見張りの使命」をないがしろにした預言者にあるというのです。また、正しい人が自分の生き方を守り続けるように警告するのも預言者の使命であって、警告しないままに正しい人が不正を行うようになったら、「見張り」の使命を怠ったことになり、預言者にその責任を問うというのです。

 さらに、33章には、国が危機に陥った時、預言者は角笛を吹き鳴らして人々に警告しなければならない。しかし、危機の時、角笛を吹かず、人々が警告を受けないままに、彼らに剣が臨み、彼らのうち一人でも命を奪われるなら、責任は「見張り」の手に求めるというのです。

 まもなく8月を迎えますが、51年前の1967年3月26日、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」が当時の日本基督教団総会議長の鈴木正久牧師の名前で発表されました。あの告白で「まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは見張りの使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔します」という一節があります。この「見張りの使命」はエゼキエルから学んだことです。

どうしてこれほどまで、エゼキエルは、預言者は「破れ口」に身を挺して、城壁を、堤防を守らなければならないのでしょうか。18章にこういう預言があります。

「イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。わたしは何人の死をも喜ばないのである。主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ。」とあります。神さまは、だれの死をも喜ばない、どんな人の立ち返りを願っている、だから、破れ口に立って祈る、自分は死んでしまうかもしれないが破れ口に立って祈ることの大切さを示されたのです。ですから、エゼキエルは、自分は助からないかもしれないのですが、人々に翻っていきよ、神さまはだれの死をも喜ばない、と語るのです。

また、エゼキエルはじっとして見張っていたのではありません。先ほどの為政者とは違って、失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする、そういう歩みをしたのです。枯れた骨のような人には、希望がある、生きよと語ったのです。

破れ口に立ってどの人にも翻って生きるよう語ったエゼキエルは、最後に再建されるエルサレムそして神殿の設計図を書き記します。そして、再建される都の名は「主がそこにおられる」という言葉でしめくくります。神さまが城壁の、堤防の破れ口となってくださるので、主が共におられるのです。

こうしたエゼキエルに大きな影響を与えたのは、イスラエルの民を率いてエジプトを脱出し、荒れ野の旅を40年にわたって導いたモーセです。モーセは、パンがない、水がない、肉がないという人々を執り成し続けながらの旅を続けたのですが、ホレブの山でモーセが十の戒め、十戒を与えられているとき、モーセの姿が見えないことに不安を覚えた人々は、アロンに願い、金の子牛を造り、目に見える神、手でさわれる神ができたことに大喜びしました。モーセは山を下りてきて金の子牛を前に民が踊る姿に大きな憤りと衝撃を受けましたが、翌日、モーセはこう祈りました。「今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば・・・・・。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書き記されたふみから、わたしの名を消し去ってください。」

自分の名は神さまのノートから消されてもいい、ですから、この金の子牛を作った人々を許してください、と祈ったのです。このモーセの祈りを、詩編の詩人はこう記します。「彼らはホレブで子牛を造り、鋳物の像を拝んだ。それゆえ、主は彼らを滅ぼそうと言われた。しかし主のお選びになったモーセは 破れ口で主のみ前に立ち、み怒りを引きかえして、滅びを免れさせた。」(詩篇106:19~23 口語訳)

 モーセは破れ口に立って神さまに祈ったというのです。

わたしたちは、破れ口に立って祈ったモーセやエゼキエルは、イエスさまを、十字架のイエスさまを証していることを心深く覚えます。イエスさまは十字架の死を遂げられたので、わたしたちには命が与えられたのです。イエスさまは破れ口に立って祈って下さったのです。今も祈っておられるのです。

そして、イエスさまに出会って、伝道者になり、異邦人伝道に全力を注いだパウロは、同胞の救いのためにも祈りました。ローマの教会に宛てた手紙で、「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。」(ローマ9:2,3)

パウロも同胞の救いのため、「破れ口」に立って祈っているのです。

エゼキエルは、来たらんとする救い主はどういう姿勢でわたしたちに関わってくださるのかを証ししています。それとともに問題がうごめく現代に、わたしたちキリストに従おうとするものがどういう姿勢で生きるのか、そのことを深く問いかけています。

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