イザヤ42:1~4
マタイ12:15~21
櫻井重宣
今朝はただ今お読み頂いたマタイによる福音書12章15節から21節を学びつつ、わたしたちに示される神さまの御心にご一緒に耳を傾けます。
15節の冒頭に「イエスはそれを知って、そこを立ち去られた」とあります。何を知って、そこを立ち去られたのでしょうか。おそらく、直前の14節に「ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」とありますので、そのことを知ってその場を立ち去られたのだと思います。ファリサイ派の人々はイエスさまが安息日を守らないので殺そうとしたのです。
そのことが、12章の1節~13節に記されています。ある安息日にイエスさまと弟子たちが麦畑を通っておられたとき、空腹を覚えた弟子たちが、麦の穂を摘んで食べ始めました。先週心に留めましたように、この行為そのものはユダヤ社会で許される行為なのですが、ファリサイ派の人々は、いくらお腹が空いたからといって、穂を摘むということは、収穫作業という労働だ、安息日にはいかなる仕事をしてはならないのだ、と言ってイエスさまを咎めたのです。さらに同じ安息日と思われますが、イエスさまが会堂に入ったとき、片方の手が萎えている人がいました。イエスさまは、その人に、手を伸ばしなさい、とおっしゃり癒されたのですが、このことも安息日に医療行為をしたと言って咎められ、ファリサイ派の人々は、安息日を破ったということでイエスさまを殺そうとしたのです。
もう一度整理しますと、ファリサイ派の人々は自分たちに注がれている神さまの恵みに心から感謝して安息日を厳格に守ろうとしたのですが、安息日を守るということに心を用いるあまり、苦しんでいる人の苦しみ、病で苦しむ人のつらさ、痛みが見えなくなっていたのです。
イエスさまは、安息日を大切にされますが、苦しんでいる人の苦しみ、痛みを決してそのままにされない、というよりそのままにしておけない方でした。
最近、わたしたちの教会では、何十年と礼拝を大切にしてこられた方が、ご高齢になって礼拝においでになれなくなっている方が増えてきています。また、今日もそうですが、ご病気のため礼拝においでになれない方がおられます。安息日を大切にし、礼拝を捧げていた方が、高齢のため、病気のため、礼拝においでになれない人々がおられるとき、その方々の痛みをわたしたちはどこまで、こうした礼拝で覚えているのか、そのことを考えさせられます。
けれども、イエスさまのこうした振る舞いがファリサイ派の人々に分かってもらえず、イエスさまはファリサイ派の人々から殺そうとされ、イエスさまはそのことを知って、そこを立ち去られたのです。
そして、15節の後半にから16節にこう記されています。
「大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。」
そこを立ち去られたイエスさまに大勢の群衆が従い、イエスさまは皆の病気を癒されたというのです。ここに「皆の」とあります。苦しんでいる人の苦しみをすべて、病んでいる人の病気をすべて、悲しんでいる人の悲しみをすべて抱え込み、癒しを、励ましを、慰めをどの人にも差し出されたというのです。
この福音書を書き記したマタイという人は、「すべて」と言う言葉をよく用います。
「イエスは民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。」(4:23)
「人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。」(4:24)
そして今日の箇所に先立つ11章では「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(11:28)
ここも原文は「すべて」です。イエスさまは病に苦しむすべての人のために心を痛め、すべて疲れた重荷を負う人を招かれ、安らぎを与えようとされる方なのです。
わたしたちも礼拝で、世界中の人々の痛み、悲しみに思いを深め、イエスさまがどの人にも慰めを、励ましを差し出しておられることを心に深く覚えたいと願う者です。
イエスさまは皆の病気をいやされ、そして、御自分のことを言いふらさないようにと戒められておられます。言いふらさないように戒めたということは、少し、読み込みかもしれませんが、イエスさまは、自分を殺そうとしたファリサイ派の人々をも抱え込もうとされたのではないかと思います。
どうしてかと言いますと、ここでイエスさまが殺されたら、ファリサイ派の人々の罪はそのままになってしまうからです。
こうしたイエスさまの姿勢を、福音書を書き記したマタイは17節で「預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった」と書き記し、先程お読み頂いたイザヤ書42章1節~4節の主の僕の歌を書き記すのです。
この主の僕の歌は、イザヤ書42章に書き記されていますが、イザヤ書40~55章は、預言者イザヤの心を心とした無名の預言者が語った預言です。預言者イザヤより百数十年後の預言者です。便宜的にイザヤ書40章から55章を書き記した預言者を第二イザヤと呼びます。この預言者が預言者としての働きをなしたのは紀元前540年頃です。イスラエルの民がバビロンとの戦いに敗れ、バビロンに捕虜として連れて行かれてから50年になろうとするあたりです。力を奮っていたバビロンをペルシャが打ち破り、ペルシャの王さまのキュロスはイスラエルの民にエルサレムに戻ってよいと告げたのです。第二イザヤが活躍したのはそうした時代でした。第二イザヤはおそらくバビロンからエルサレムへの旅のリーダーの一人と思われます。
第二イザヤが神さまから与えられた使命は「わが民を慰めよ」ということでした。ヘンデルが作曲した「メサイア」の冒頭が「慰めよ、慰めよ、わが民を」は第二イザヤの冒頭の預言です。しかし、どの人にも慰めをもたらすことは本当に難しいことです。
わたしは第二イザヤに心ひかれながら今日まで40数年牧師として歩んできましたが、そのことを実感しています。
教会員の子どもさんが、高校や大学の入学試験に合格したとき、おめでとうと言うのですが、同じ教会員のご家庭で不合格になった人にとってはつらいニュースです。病気がなおって退院のときもそうです。入院が長期にわたっている人にとって、だれかが退院したというニュースはつらいニュースです。
預言者はそうした苦悩から、すべての人に慰めをもたらすのは、主の僕、おそらくわたしたちの待ち望んでいるメシア、救い主をおいてほかにいないということで、四つの主の僕の歌を歌いあげ、宝石をちりばめるように40~55章の中におきました。
マタイがここに書き記したのは、四つの主の僕の歌うち、第一の歌です。
「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。」
主の僕を選んだのは神さまだ、主の僕は、神さまの心に適い、神さまが愛され、神さまが霊をさずけたのだ、まさに、主の僕は神さまの御心のままに歩むというのです。そして主の僕は異邦人に正義を知らせることを使命としているというのです。異邦人というのはユダヤ人でない人ですから、ユダヤ人にもそうでない人にも、どの人にも正義を知らせるというのです。言葉の説明で申し訳ありませんが、正義と訳されている語は、クリシスです。裁きとも訳してもよいと思います。ヘブライ語はミシュパートです。口語訳は「道」と訳していました。神さまのご意志、計画、判断、御旨、道です。すべての人に神さまのご計画、御旨、道を知らせるのが主の僕だというのです。
19節「彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない。」不思議なことに、「争わず」はイザヤ書にはありません。どこで付け加えられたのでしょうか。ファリサイ派と争わないイエスさまの姿がマタイに深く印象づけられたからでしょうか。
また、主の僕は大声で叫びません。その声を聞く者は大通りにはいないというのです。
そして20節、21節です。「正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。異邦人は彼の名に望みをかける。」
葦は水辺に生える植物ですが、風が吹くと互いにあたって傷ついてしまう弱い植物です。けれども主の僕は、そうした葦に象徴されるような弱さ、破れを持っている人を抱え込む優しさを持ち合わせています。また、今にも消えそうなくすぶる灯心を消さない慎重さを持っています。そして、主の僕は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さないという仕方で、神さまのご計画、御旨をすべての人に行き渡らせるというのです。異邦人、すなわち、すべての人々は、こうしたかたちで御旨を遂行する主の僕に望みをかけるというのです。
第二イザヤがうたう主の僕の歌ですが、第一はマタイがここに全文を引用しています。第二の主の僕の歌(イザヤ49:1~6)は、傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さないで御旨を遂行しようとする主の僕は徒労、むなしさを覚えるというのです。しかし、主の僕は神さまに励まされながら、時間がかかっても、労苦を重ねても傷ついた葦を折らない、くすぶる灯心を消さないという仕方で御旨を地の果てまで携えようとします。第三の歌(50:4~9)は、そうした主の僕は迫害されます。しかし、主の僕は、打とうとする者には背中をまかせ、ひえを抜こうとする者には頬を任せ、顔を隠すことなく、嘲りと唾を受け続けるのです。そして第四の主の僕の歌(52:13~53:12)は苦難の僕の歌と言われるように、主の僕はわたしたちの背きのため刺し貫かれ、わたしたちの咎のため打ち砕かれ、主の僕が受けた懲らしめ、傷によってわたしたちに平和が、いやしがあたえられるというのです。
マタイがイエスさまの働きを通して語ろうとすることはまさにそのことです。神さまの御心を一人も多くの方にお伝えしようとしたイエスさまは十字架の道を歩まざるをえなかったのです。
佐世保教会や井草教会の牧師であった小塩力先生が、1945年10月に「傷める葦を折ることなく」という題で説教しておられます。今年は、戦後70年ということで、70年前のことを思い起こし、地に平和をと祈り続けていますが、戦後、二ヶ月目です。何度読んでも心を動かされる説教です。小塩先生は、廃墟のただ中で、渾身の力をふりしぼって語っておられます。
説教でこういうことをおっしゃっています。
「この葦こそ私どもなのである。この灯火こそ我々なのである。自分では望みを失う。けれどもキリストの眼のとどくところ、天のはて、地の極み、いずこに望みなき葦があろう。折られ、再び立つすべもないかに見える民族も、主は決して棄てたまわない。伝道者とは、この希望の圏内に万国の民を招くべき伝令にほかならないのである。」敗戦直後の教会、伝道者の責任を語ります。
そしてこの説教の最後でこう語っています。
「日本は何をもって世界にむかい、何をもって人類に奉仕せんとするのであるか。多くの分野が開かれていると信ずる。しかし、日本こそ、おのが罪と万国の罪とのゆえに、『髭をむしられる』境涯を経過することによって、折れた葦の痛みと和解の喜びとをもって示しうるであろう。イスラエルが国家喪失の淵から第二イザヤを生み、新約の人々を生んで、世界的使命を果たしたように、この愛する日本の傷痕の奥から、万邦にわかつべき真の平和、真の希望が溢れいでて尽きぬであろう。何となれば、悩みの人イエスが傷める我らを貫いて、昨日も今日もそしていつまでも先立ち行きたもうゆえに。」
戦後70年のこの年、傷める葦に注がれた神の愛を証しするものでありたいと願っています。