2010年3月7日 礼拝説教「主の葬りの備え」

イザヤ書52:121
使徒言行録27:27~44

櫻井重宣

 今、私たちはレントの期間を過ごしています。今日からイースターまで、礼拝においてマルコ福音書に耳を傾けながら、イエス様の 十字架の苦しみに思いを深めていきたいと願っています。
 今日は14章1節から11節に記されている、一人の婦人がイエス様の頭に香油を注いだという出来事を学びます。
 冒頭の1節と2節にこう記されています。≪さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略 を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。≫
 そして、最後の10節と11節にはこう記されています。≪十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、 祭司長たちのところへ出かけて行った。彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き 渡せるかとねらっていた。≫
 すなわち、過越祭と除酵祭の二日前、祭司長たちや律法学者たちはイエス様を捕らえて殺そうと考えていたという記事と、イエス様 の十二弟子の一人イスカリオテのユダがイエス様を引き渡そうとして祭司長たちのところへ行き、祭司長たちはそれを聞いて喜び、お金を 与える約束をした、この二つの記事にはさまれて、ベタニアで一人の女の人から香油を注がれるという出来事が記されているのです。 しかも、イエス様はこの女の人の振る舞いは世界中どこでも福音が宣べ伝えられる所では記念として語り伝えられるであろう、とおっしゃ っておられます。

   実は、イエス様が女の人から香油を注がれるという記事は、少しずつ違いがあるのですが、四つの福音書、いずれにも記されています。  
 先ず、この出来事がいつの出来事かということですが、マルコとマタイは過越祭の二日前です。ヨハネは六日前です。ルカは受難の 記事と関わりなく7章に記されています。
 次にどこでこのことがなされたか、すなわち、場所ですが、マルコとマタイは、ベタニアの重い皮膚病のシモンの家です。ヨハネは ベタニアのマルタ、マリア、ラザロの家です。ラザロの復活の後に記されます。ルカは、あるファリサイ派のシモンの家であったと言いま す。 
 次に、注いだ人と注ぎ方ですが、マルコは一人の女が石膏の壺を壊してイエス様の頭に香油を注ぎかけた、と。マタイは一人の女が 石膏の壺からイエス様の頭に香油を注ぎかけた、と。それに対して、ヨハネは注いだのはマリアです。マリアがイエス様の足に香油を塗り、自分の髪でその足をぬぐったというのです。ルカは、この町にいた一人の罪深い女が後ろからイエス様の足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、イエス様の足に接吻して香油を塗った、とあります。
 この行為に文句を言った人にも違いがあります。マルコはそこにいた何人か、マタイは弟子たちです。ヨハネはイスカリオテのユダ です。そして、ルカはイエス様を招いたファリサイ派のシモンとなっています。

 四つの福音書にそうした違いがあることを心に留めながら、マルコによる福音書のこの記事を学んで参りたいと思います。
 3節にこう記されています。「イエスが、ベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の 女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。≫
 マルコは、これは重い皮膚病のシモンの家での出来事だというのです。「重い皮膚病」とありますが、同じ新共同訳でも最初は 「らい病の人シモン」となっていました。そう記されている聖書をお持ちの方もおられるかと思います。
 「らい病」を「重い皮膚病」と翻訳を変えたのはこういう経緯があります。旧約聖書のツァーラト、新約聖書のレプラが従来 「らい病」と訳されていました。しかし、聖書の、ツアーラト、レプラがハンセン病と断定できないということと、聖書がツアーラト とレプラを「らい病」と訳したことがハンセン病の人への差別を助長したということ、さらに2001年熊本地裁でらい予防法による隔離は 憲法に反したという判決が出されたことにより、「重い皮膚病」と訳されるようになりました。
 私たちの教会の歴史で、大切に位置づけられていることの一つに、ハンセン病の多摩全生園の秋津教会との交わりがあります。 『六十年史』を見ますと、教会学校では、従来、クリスマス献金を埼玉の加須にあるキュックリッヒ先生の愛の泉、そして教団、そし て秋津教会に送っていたのですが、1972年から秋津教会への献金は自分たちの手で直接届けることにしたというのです。中高等科と教師 そして教会員有志がお持ちしたのですが、最初にこういうことに直面したというのです。会堂の入口が二つあった、そこを入ると講壇に 向かって右手の一段と高いイス席に案内された、秋津教会の人たちはというと、下の畳に座っていた、あたかもアメリカの陪審法廷のよ うで、陪審員の席にわたしたちが、被告席に秋津教会の方々がいるようで、自分たちは高いイス席から降りて一緒に畳の上に座った、と。 それから15年この交わりは続き、私たちのこの教会にも秋津教会の方々をお招きしました。
 今から40年前でもこうした状況であったわけですから、二千年前、イエス様はレプラ、重い皮膚病を患うシモンという人の家に行き、 食事の席に着いたというのは大きな驚きです。さらに、食事の席に着くというのは本当に親しい人との交わりで、くつろぎの時です。 そのとき、一人の女の人が純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエス様の頭に注いだ というのです。壷を壊すというのは、この壺は、もう必要ないということです。そしてその壺に入っている香油をすべて、一滴残らずイ エス様の頭に注ぎかけたのです。
 先程、サムエルがサウルに油を注いで王とした記事を読んで頂きましたが、旧約聖書を読みますと、王様、祭司、預言者に任じられ るとき、油を注がれます。油を注ぐという言葉は「クリオー」です。油注がれた人がキリストです。イエス・キリストというのは、イエス が油注がれた人という意味です。イエス様が王であり、祭司であり、預言者であるということです。
 ですから、ここで女の人がイエス様に香油を注いだというのは、この方は本当に大切な方だという表明で、この女の人の信仰告白で す。直感的にこの女の人はイエス様の死が近いことを感じたのでしょうか。
 そうしますと、この場の雰囲気が騒然としました。4節と5節を見てみます。
 ≪そこにいた人の何人かが、墳慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は三百デナリオン以 上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。≫
 ナルドの香油は高価です。石膏の壺に入っていたと思われる香油の量はおおよそ300デナリオンだというのです。一デナリオンとい うのは一日分の労働賃金です。300日分です。イエス様の頭に注がれた香油は床まで流れてきたのではないでしょうか。小説家の太宰治が、この場面を描き、「香油の匂いが部屋に立ちこもり、まことに異様な風景でありました」と記しています。本当にそうだと思います。そして、みんなの口から出た言葉は一様にもったいない、無駄だということでした。  
 6節、7節にこうあります。≪イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良い ことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときには良いことをしてやれる。しかし、わたしはい つも一緒にいるわけではない。≫
 イエス様は、墳慨した人々に「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか」、とおっしゃいました。イエス様と いう方は、その人が精一杯、なした行為をそのまま受け入れる方です。ここでもそうです。「するままにさせておきなさい」「自由にさ せておきなさい」と、その人の振る舞いをありのまま受け入れておられます。そして、イエス様は、「わたしに良いことをしてくれたの だ」とおっしゃるのです。茅ケ崎で過ごされた柳生直行先生の新約聖書の個人訳は、塚本虎二先生の訳と共に本当に教えられることの多 い翻訳ですが、柳生先生は、ここの「良いこと」を「美しいこと」と訳しておられます。時折、ご紹介しまうが、美学を長年教えておら れる今道友信先生は、美は「羊」と「大きい」という字が一緒になって出来た言葉だ、羊が大きいというのは犠牲が大きいということだ とおっしゃいます。
 イエス様はこの女の人の振る舞いを、美しいこと、犠牲が大きいこととして受けとめたのです。もう少していねいに言うなら、 美しい振る舞いへの応答として、すなわちイエス様の犠牲の大きい、十字架の出来事への応答としてその女の人の行為を受けとめられ たのです。そして、貧しい人はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない、とおっしゃって、この地 上の生涯を終えるときの近いことを示唆されたのです。
 8節にはこうあります。≪この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をし てくれた。≫
 マルコ福音書の5章には、一人の人の回復のために豚二千匹が湖になだれ落ちた出来事が記されています。一匹が5万円とすると 一億円です。一億円が無駄になっています。一人の人の回復のためには、どれほどお金がかかっても良いのです。その人を愛するからです。また、『星の王子様』のサンテグジュペリは、愛するということは、その人のため時間を無駄にすることだと言っています。イエス様が十字架の死を遂げるのは、そのことによって欠けの多い、弱さのある私たちが生きるためです。イエス様は御自分の命を私たちのために差し出しても一つも惜しいと思わない、それほど私たちを愛しておられるのです。イエス様は無駄と思われる香油注ぎを、御自分の十字架の死を真正面から受けとめた行為と位置付け、結果として埋葬の準備をする行為だとおっしゃったのです。
 ですから、9節で、≪はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り 伝えられるだろう≫とおっしゃるのです。 福音は良いおとずれです。イエス様が十字架上で御自分の命を差し出され、私たちに命を差し出して下さった美しいおとずれです。 この女の人の行為は福音を証しする行為だ、彼女の振る舞いは記念として語り伝えられるとおっしゃるのです。

 マルコ福音書では、イエス様のこの地上での最後の一週間の出来事が11章以下に記されていますが、12章の最後のところに、 一人の貧しいやもめがレプトン銅貨二枚をささげたことが記されています。レプトン銅貨は小さなお金です。けれどもそれはその人の生活 費のすべてでした。イエス様はこのやもめの振る舞い、そして香油を注ぐ婦人の振る舞いに心動かされ、励まされ、十字架への道を歩まれ るのです。イエス様は、二人の婦人たちのこうした振る舞いに励まされて歩むことができたとおっしゃるほど身の低い方であったのです。
 道端に、イヌフグリ、オオイヌフグリが咲き始めました。小さな青い花です。イヌフグリ、オオイヌフグリの学名の冒頭はヴェロニ カです。ヴェロニカというのはイエス様が十字架の道を歩いておられたとき、血と汗にまみれたイエス様の顔をぬぐったとされる婦人です。 イエス様の顔を拭ったその布に十字架のしるしがついたというのです。こうした伝説は中世からです。ルオーの作品の一つに『ヴェロニカ』 があります。とても素晴らしい作品です。ヴェロニカとイヌフグリが結びつけられていることに私は深い思いをさせられます。
 イエス様がお生まれになったのは家畜小屋です。「布にくるまって飼い葉桶の中に寝て」いました。誰かがそっと布を差し出さなけ れば、こごえ死んでしまうような乳飲み子でした。そのイエス様が、レプトン銅貨二枚をささげた婦人や石膏の壺を壊して香油を注いだ婦 人の行為に心動かされて十字架の道を歩まれました。そして、伝説ですが、十字架を担いであえぎながらゴルゴタへの道を歩かれ、 血と汗 にまみれたイエス様の顔をヴェロニカが布でぬぐったというのです。道端に咲いているイヌフグリに私たちが励まされるように、 イエス様 はレプトン銅貨をささげた婦人やナルドの香油を注いだ婦人たち、そしてヴェロニカに励まされる方でした。  
 他人から見れば、無駄と思われるような振る舞いであっても、逆に、わずかと思われるものでも、精一杯ささげる婦人たちの 「良い」「美しい」振る舞いに励まされて、十字架の道をイエス様が歩まれたのです。 身を低くして十字架の道を歩まれる主イエス に従いゆくものとなりたいと願っています。

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