創世記28:10~17
ヨハネによる福音書14章15~24
櫻井重宣
今日は、聖霊降臨日、教会の誕生日と言われる日です。そこで今日は私たちの教会では子どもと大人が一緒に礼拝し、教会のお誕生日をお祝いすることにしました。私たちの教会には三カ月の赤ちゃんから90歳を超えるお年寄までいます。教会は、神様がまんなかにいてくださる家族のようなところです。今日は、家族そろっての礼拝です。本当にうれしいです。二千年前、イエス様が山の上や海辺でお話しされるとき、子どもも大人もみんな一緒にイエス様のお話を聞きました。私たちも今日はみんなで聖書のお話に耳を傾けましょう。
イエス様は30歳の時から3年の間、ユダヤの町々を巡り歩き、病気のため苦しむ人 をなおしたり、悲しんでいる人を慰めたり 疲れている人を励ましたりしながら神様の国はこう言うところですよ、神様は私たちを本当に大事にして下さる方ですよ、ということをお話しされていました。お弟子さんたちはイエス様といつも一緒でした。私たちもイエス様が大好きですが、お弟子さんたちも本当にイエス様が大好きでした。3年間イエス様と一緒に町から村へと旅し、ごはんも一緒、夜、寝るのも一緒だったからです。でも神様の御用を始めて3年たったころ、イエス様がお弟子さんたちに、わたしはまもなく捕まってみんなから悪口を言われたり、つばをかけられたり、鞭で打たれたり、そして十字架に架けられて殺されるでしょう、とおっしゃったのです。お弟子さんたちはびっくりしました。みんな心配し、夜も眠れなくなりました。大好きなイエス様がいなくなる、殺される、これからどうすればいいのだろうと。そうした心配しているお弟子さんたちにイエス様が心を込めてお話しされたお話がヨハネによる福音書14章から16章まで記されています。
ここに記されているイエス様のお話は、本当に慰めに満ちたお話です。イエス様はお弟子さんたちに、わたしがいなくなるからといってあなたがたは心配していますが、大丈夫ですよと、と繰り返しおっしゃっておられます。どうして心配しなくていいのでしょう。
イエス様はこうおっしゃったのです。わたしがいなくなってもあなたがたをみなしごにしませんよ、ひとりぼっちにしませんよ、わたしは神様のところにいきますが、そのかわりに、私は神様にお願いして、あなたがたのところに弁護者を送っていただきましょうとおっしゃったのです。
弁護者という言葉は、ギリシャ語ではパラクレートスです。いつもその人のそばにいてその人を慰め、励ます人です。その人が間違ったことをしたときには、その人をかばいます。3年の間イエス様と一緒に神様の御用をしたお弟子さんたちに印象づけられているイエス様のお姿は、いつも、どんな人をもかばう人でした。だれかがいじめられているとき、イエス様はいじめられている人をかばいました。きらわれている人の味方になりました。あるいは自分なんかもうだめだと思っている人には大丈夫ですよ、元気をだしなさいと励まされました。
イエス様が殺されてしまう、いなくなってしまう、これからどうなるだろうと思い心配しているお弟子さんに、イエス様が神様にお願いして別の弁護者、パラクレートスを送って頂きますから心配しないでいいですよ、神様が送ってくださる弁護者は目で見えませんが、真理の霊、聖霊ですよ、とおっしゃったとき弟子たちは本当にうれしくなりました。
先ほど、読んで頂いた創世記にはヤコブのことが記されていました。ヤコブは一人ぼっちで遠いところまで旅に出ることになりました。今から三千年以上も昔ですから汽車も自動車もありません。砂漠のようなところを一人で旅をするのでヤコブは心配で、こわくてなりませんでした。夜になっても泊まるところはありません。石を枕にして寝るのです。それでもヤコブは疲れていたので、眠ってしまいました。夢をみました。そうしましたら今寝ている荒れ野から天まで階段が伸びていて神様のお使いの天使たちがその階段を上り下りしていたのです。そして天から神様のお声が聞こえてきました。ヤコブ、どんなときにもあなたはひとりぼっちでないですよ、わたしはいつもあなたと一緒にいますよ、どんなときもあなたを守りますよ、と。ヤコブは目が覚めたときとてもうれしくなりました。
ヤコブが夢でみたことが本当に実現したのが、クリスマスのときです。神様が一人子イエス様を私たちに贈ってくださったのがクリスマスです。神様は大切な一人子イエス様を私たちに贈ってくださり、どんなときにも神様が一緒にいてくださることをたしかなこととされたのです。
そして、そのイエス様が十字架で殺されるということで不安を覚えている弟子たちに、イエス様は、神様が弁護者を送ってくださいますよ、どんなときにも私たちと一緒にいて私たちをかばってくださる聖霊を送ってくださいますよ、とおっしゃったのです。
十字架で殺されたイエス様が三日目によみがえられたのがイースターです。イースターから五十日目、ペンテコステの日に、神様から聖霊が与えられました。聖霊を与えられた弟子たちは、わたしたちはひとりぼっちでない、目には見えないけれどもどんなときにも神様が一緒にいてくださることをみんなの前で語りだし、教会が誕生したのです。
ですから、教会は、神様はわたしたちをひとりぼっちにしない、どんなときにも私たちをかばって下さる、愛してくださる、そのことに励まされた人々の集りなのです。そのため教会は、神様はわたしたちを一人ぼっちにしない方だ、ということを語っていく使命があるのです。
イエス様がどんなときにも一緒にいて下さるということに励まされていた水野源三さんという方がおられました。今から24年前に47歳で亡くなった方です。
水野さんは長野県の坂城村で生まれました。今日は小学校4年生の方が何人かおられますが、水野源三さんは小学校4年生のとき高い熱をだして、それが原因で体をうごかすこともお話しすることもできなくなりました。食べるときも、トイレに行く時も誰かに世話にならなければなりません。からだでうごかせるのは瞬きだけです。源三さんのお母さんは「あいうえお」の五十音図を作って壁に掛け、お母さんがその字を順にさして行って、源三さんの希望する字に来たとき、源三さんが瞬きする、そういう方法で一字一字書いて文章にするようにしたのです。水野源三さんはお母さんに励まされ、たくさんの詩や歌を作りました。また、その町の教会の宮尾先生がイエス様のことをお話くださるようになり、水野さんは洗礼を受けキリスト者になりました。
水野源三さんが作った詩を紹介します。
― 母が共に ― 我ひとり悩むのでなく 母が共に 我ひとり聞くのでなく 母が共に 我ひとり信じるのでなく 母が共に 我ひとり祈るのでなく 母が共に 我ひとり喜ぶのでなく 母が共に 我ひとり待つのでなく 母が共に
この詩のように、水野源三さんにとってお母さんはとても大切な存在でした。今日は母の日ですが、水野源三さんはある年の母の日にこういう詩を作りました。
― 母の日 ― 私が御国へ召されるときまで 母よ病気をしないでいてほしい 健康でいてほしい そうでなければ私は 聖書を学べない 手紙を出せない 詩を作れない 生きられない
けれども水野源三さんが38歳のときにお母さんは病気のため亡くなってしまいました。水野源三さんはとても悲しみました。その悲しみの中で作った詩があります。
― 主よなぜですか ― 主よなぜですか 父につづいて 母までも み国へ召されたのですか 涙があふれて 主よ 主よと ただ呼ぶだけで つぎの言葉が 出て来ません 主よあなたも 私と一緒に 泣いてくださるのですか
大きな悲しみを経験した水野源三さんでしたが、弟さんの奥さんが詩を書き止めてくれる事になりました。 なによりもイエス様が一緒に泣いて下さることに慰められ、少しずつ元気になり、こういう詩を作りました。
― 泣かないでください ― 母をうしなった私のために 泣かないでください もう泣かないでください 心の中は 不思議なくらいに 静かなのです キリストが 私と共に おられるからでしょうか
水野源三さんの上にも、聖霊が与えられ、悲しいときにはイエス様が一緒に泣いてくださいました。そして、どんなときにもイエス様は一緒にいてくださる、わたしはひとりぼっちでない、という告白へと導かれたのです。
今日はペンテコステです。あなたはひとりぼっちでないですよ、イエス様はいつもあなたの味方ですよ、神様はいつもあなたと一緒ですよ、大丈夫ですよ、と語ってくださる聖霊が、パレクレートスが私たちにも与えられたことを心から感謝しましょう。