牧師室の窓から 2007年4月

★前任の盛谷牧師と交替するかのように、3月27日午前11時発の新幹線で広島の地を後にし、午後4時過ぎ茅ヶ崎駅に着きました。どうぞ宜しくお願いします。   

★このコーナーの第一回目ですので、自己紹介を致します。
 生まれたのは岩手県一関市で、高校時代まで過ごしました。学生時代の8年間は東京でした。神学校を卒業し、最初の任地は名古屋の御器所教会(3年)、それから名古屋の鳴海教会(2年)、秋田楢山教会(21年)、広島教会(12年)で奉仕しました。牧師として38年も過ごすと「金属疲労」が目立つようになってきています。皆様のお支えを頂きながら、励みたいと願っております。妻の克子と共に茅ケ崎に参りました。子ども3人はそれぞれの地で励んでいます。

★秋田、広島でのトレードマークは《自転車》でした。櫻井と言えば自転車、自転車と言えば櫻井、と言われる程でしたが、茅ケ崎に参りましたら、教会員のほとんどの方が自転車で教会においでになり、町中至るところ自転車です。トレードマークがなくなってしまいました。

★茅ケ崎の町の第一印象は道路が狭く、戦前の家屋がたくさん残っていることです。タクシーの運転手さんが茅ケ崎は戦災に逢っていないからだとおっしゃっていました。広島は原爆投下により町全体が廃墟となりました。戦前の家屋は一軒も残っていません。茅ケ崎の狭い道、戦前からの家屋は《平和》の大切さを証言しています。それと同時に広島に戦前の家屋が一軒も残っていない、という事実は戦争、原爆の悲惨さを証言しています。皆さんにとって見慣れた町並みでしょうが、広島から来た人間がその町並みを見て、大きな衝撃を覚えていることを分かって頂きたいと思います。 スイスの牧師リュティは説教の後の祈りで毎週のように「核戦争に追いやる一切のものを阻止してください」と祈っています。 地に平和をと祈り続けましょう。

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