牧師室の窓から 2018年10月

★10月21日(日)は秋の特別伝道集会でした。午前は特別伝道礼拝、午後は小宮由先生に「このよろこびをあのこに」と題しての講演会でした。小宮由先生の祖父は、トルストイを翻訳し、トルストイの心を心として歩んだ北御門二郎さんです。小宮先生は講演の中で北御門さんのこともお話しくださいました。北御門さんは兵役を拒否したので、特高(特別高等検察)が何度も取り調べにやってきたそうです。北御門さんが松永さんという特高の方がおいでになる度に誠実に相対され、松永さんはその姿に真実なものを認め、逮捕しなかったというのです。

 わたしはそのお話しを聞き、思い起したのが、戦時下に治安維持法違反で逮捕された浅見仙作さんのことです。浅見さんは逮捕されたとき、78歳でした。8ヶ月の間、札幌で留置、監禁されましたが、キリストの十字架による真の平和を望み見て、絶対非戦、無抵抗を貫きました。第一審判決は懲役3年でした。すぐ大審院に上告しました。裁判長は三宅正太郎さんでした。浅見仙作さんと三宅正太郎さんのやりとりは『小十字架』という小さな本にていねいに記されています。1945年2月、三宅裁判長は取り調べのため札幌においでになり、5月には高齢の浅見さんが大審院公判のため上京しました。あらためてキリストの再臨のことを訊ねられた後、最後にこういうやりとりがありました。三宅裁判長「貴下は余生を如何にして送ろうと望まれますか」。浅見「純福音を信じ、十字架中心の信仰の旗を北海道の真中に樹て、棺に入りたいと志しております」。三宅裁判長「御老体お大事に」。そして、1945年6月30日、「原判決ヲ破毀ス 被告人ハ無罪」という判決がくだされました。

戦争末期、北御門二郎さんと特高の松永さん、浅見仙作さんと裁判長の三宅正太郎さんとのやりとりに深い思いをさせられました。

★10月13日 山川桃子さんの夫、山川輝彦さんが召されました。79歳でした。山川輝彦さんは中等部から大学まで10年間青山学院で学ばれ、桃子姉との結婚式は青学会館でした。召された13日はお二人の49回目の結婚記念日でした。そこで、結婚式のとき歌った讃美歌を前夜式、葬儀のとき歌いました。「あいにてみつる あまつ家に すまうそなえを なさせたまえ」の一節を歌ったとき涙が溢れました。深い悲しみを覚えておられる山川姉に主の慰めを祈ります。

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