牧師室の窓から 2016年2月

★5年目の「3月11日」を迎えます。わたしたちの教会では、東日本大震災が発生以来、受付に毎週募金箱を置き、この5年で370万余の献金を被災された教会に送り届けました。教団は咋年で募金活動を終了しましたが、わたしたちの教会は新年度も継続することにしました。わたしたちは、小さな群れですが、被災地の方々を覚え祈り続けたい、献げ続けたいと願っています。

★2月13日、千歳船橋教会で行われた四竃恭子さんの葬儀に参列しました。四竃恭子さんは、中学時代に被爆し、奇跡的に助かった四竃揚先生のお連れ合いです。四竃先生は「あの日」、8月6日の出来事をすべての人が心に刻んで欲しいと願い、60年以上にわたって誠実に証言しておられます。けれども恭子さんによると、揚先生は証言した夜、うなされ、ある時は絶叫するというのです。咋秋頂いたお手紙には「結婚して50年以上過ぎましたが、ヒロシマは私にとって重過ぎて、他所者意識が抜けません」とありました。夫のあれほどの苦しみをなかなか共にできない自分だ、とおっしゃるのです。 「朝の祈り」という写真があります。原爆ドームに十字の光が見える写真です。広島教会員の西名一彦さんが被爆50年目に撮った写真です。西名さんはこの写真によって、原爆で亡くなったお姉さんを、イエスさまは十字架の光で包み込んで、神さまの国へ導いて下さったことを覚えることができ、50年目の8月6日、はじめて口を開き、「あの日」のことを証言して下さいました。
 咋年の秋、四竃恭子さんからお電話があり、あの「朝の祈り」を数百枚欲しい、版権、著作権の問題があると思うので、西名さんのご遺族に折衝して頂けないかという趣旨でした。急いで西名さんのご家族に手紙を書きましたところ、作ることをご理解下さり、四竃揚先生が千代田教会に在任中、四竃先生から洗礼を受けたプロの写真家、野口さんがこの仕事を優先して作って下さいました。すぐ、四竃恭子さんにお届けしたところとても喜ばれ、「わたしは人生最後の断念の海を感謝に満ちて渡っています。『朝の祈り』をほとんど断念していましたのに、先生のおかげで突然奇跡の海が開け、全く思いがけない展開となりお宝を手にしました、唯々感謝です」とお手紙を頂きました。数年前から悪性の病を患っておられた四竃恭子さんは、うなされても、絶叫しても証言を続ける夫の思いはこの「朝の祈り」に集約されている、そのためにも、この「朝の祈り」を息子、娘に託しておくことが夫に先立つ妻の責任、使命と思われたご様子です。四竃恭子さんは「朝の祈り」を感謝し、2月7日静かに召されました。

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