★戸次夏雄さんが召されました。7月26日に94歳のお誕生日を迎え、27日ご家族そろってお誕生のお祝いをし、その次の日から入院しました。最後は、お家でという願いから9月3日にご自宅に戻り、5日早朝、御自宅のベッドの上で静かに召されました。 私たちの教会が1952年から1964年まで、13年かけて、手造りで会堂を建築したとき、陣頭指揮に立ったのが戸次さんでした。その後、米軍宿舎にある教会、富士宮教会、茅ヶ崎香川教会、茅ケ崎南湖教会等の教会の建築に携わりました。若い日に「七つの教会」を建てるという幻を与えられた戸次さんは、6つの教会を建てました。
主の日毎に礼拝することを心からの願いとし、さらに、礼拝する人が一人でも多く与えられるようにと願って教会建築に従事された戸次夏雄さんは、最後の最後まで忠実な礼拝者でした。90歳を過ぎて、とくに幸代夫人をみもとに送ってから会話が少なくなったのですが、讃美歌を歌うとき、祈りや讃美歌のときの「アーメン」は大きな声でした。 21日の説教の最後に紹介しましたが、戸次夏雄さんのこの地上での終わりのときに心深くおもいおこしたのは、インドの詩人タゴールが80歳の誕生日を前にして作った「最後のうた」という詩です。
「こんどの誕生日にわたしはいよいよ逝くだろう わたしは身近に友らを求める― 彼らの手のやさしい感触のうちに 世界の究極の愛のうちに わたしは人生最上の恵みをたずさえて行こう 今日わたしの頭陀袋は空っぽだ― 与えるべきすべてをわたしは与えつくした その返礼に もしなにがしかのものが ― いくらかの愛といくらかの赦しが得られるなら わたしはそれらのものをたずさえて行こう― 終焉の無言の祝祭へと渡し舟をこぎだすときに」
戸次夏雄さんも、すべてを与えつくして、空っぽになった頭陀袋に、おとうさんありがとう、おじいさんありがとう、戸次さんありがとうございますという多くの人々の感謝の思いと神さま、わたしの94年の人生をありがとうございますという祈りをたずさえて、すなわち人生最上の恵みをたずさえ、ご家族の手のやさしい感触のうちに召されたのです。 戸次夏雄さんの信仰を、心を込めて受け継いでいきたいと願っています。
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