牧師室の窓から 2014年3月

★3年目の「3・11」を覚えて、9日(日)礼拝に引き続いて祈祷会を行いました。創世記18章22~33節とコリントの信徒への手紙(二)11:21~29に耳を傾けた後、4名の方に祈って頂きました。  3年経っても20数万人の方々が仮設住宅での生活を余儀なくされています。福島の子どもたちは外で伸び伸びと遊ぶことができず、健康不安が急増しています。それだけではなく、福島から転じてきた生徒のなかには、転校先の教師に福島から来たことを黙っていて欲しいと願い出る生徒もいるそうです。  先日の新聞で、医師であり作家でもある鎌田實さんが、「原発難民」と自らを呼ぶ佐藤紫華子さん(85歳)の詩を紹介していました。   「私たちは どこまで逃げれば いいのだろうか。   追いかけてくる放射能 行く手を阻む線量   見えない恐怖! 匂わないもどかしさ! 聞こえない焦立たしさ!    私たちは安住の地を求めて どこまで いつまでさすらうのだろう。」 佐藤さんは、国策で二度ふるさとを追われた方です。17歳のとき、太平洋戦争の末期、生れ故郷の樺太にソ連軍が侵攻し、命からがら引き揚げ、福島県富岡町に住むようになりました。その佐藤さんが3年前の東京電力福島第一原発事故で第二のふるさとである福島を追われました。 「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか」(コリント二11:29)と語るパウロのように、福島の人々の苦しみ、悲しみ、痛みをもっと共にしなければならないことを思わされます。


★3月17日(月)横浜市大の病室で、馬場素子さんの洗礼式を行いました。馬場さんは、受洗して四日後の20日(木)に亡くなりました。23日(日)夕方に前夜式、24日(月)午前に葬儀をいずれも当教会で行いました。馬場素子さんは20年前、発症し、病を抱え、病と共に歩む日々を過ごされた方です。教会には入退院を繰り返すようになった4年前に初めておいでになりました。  馬場素子さんは、歌人の永田和宏さんが責任をもって編集している『塔』に毎月のように投稿していました。 「ホーキョキョと字たらずの音をくりかえすうぐいすのあり我も励まん」 「石段を降りし左に水たまり歩きすすめば流れる雲うく」 「肩に寄る蛍一匹触れし手に微かな匂い残し飛び去る」 心の眼を低くしなければ歌いあげることが出来ない歌です。ご遺族に主の慰めを祈ります。私たちも天にある馬場素子さんと共に主を賛美し続けましょう。

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