牧師室の窓から 2013年3月

★西条栄光教会から毎月週報が送られてきます。同教会の牧師は、私が広島教会在任中、洗礼を授けた中本純教師です。3年前、西条栄光教会に赴任しました。数日前に届いた週報とともに、「2012年度の歩みに感謝します」という文が添えられていました。 「この一年間の教会の歩みを振り返る時、沢山の喜びと恵みに満ちたものであったことを思い起こします。具体的に喜ばしいことを一つ挙げるとするならば、これまでずっと生徒のいなかった教会学校に生徒が与えられ、教会で子どもたちの声が聴けるようになったことです。何年間も生徒が一人もいない状態でCS教師の方々だけで毎週欠かさずCSの礼拝が守られてきました。こうしたCS教師の皆さんの神さまに委ね切る忍耐強い信仰に本当に励まされる思いが致します。教会の中で起こるこうした小さな奇跡は本当に不思議です。いつも私たちが絶望しそうになる時、あきらめてしまいたくなる時、神さまは先立って、私たちに最善の道を備えてくださっているからです。こうした時、私は詩編の中で一番好きな言葉を思い起こします。 『涙と共に種を蒔く人は、喜びと共に刈り入れる。 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、 束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。』(詩編126)」 私たちの教会の教会学校はこの一年、生徒の出席が一人もなく、教師だけで礼拝を守ったことが少なくなかっただけに、この文にとても励まされました。私たちも、喜びと共に刈り入れる日を望み見ながら、涙と共に種を蒔き続けたいと心から願いました。


★今年のイースターにボンヘッファーの言葉に思いを深くしています。「神は人間を愛し、世界を愛したもう。  理想的な人間ではなく、ありのままの人間を、 理想的な世界ではなく、現実の世界を、愛したもうのである。」「この大地が人間イエス・キリストを担うに価するものだとすれば、すなわち、イエスのような人間が生きられたのだとすれば、その時、まさにその時のみ、われわれ人間にとっても生きる意味があるのだ。」 神さまが愛され、イエスさまが生きたのは、問題がうごめくこの世界だというのです。この言葉に励まされ、新しい年度の教会の歩みをスタートしましょう。

目次