牧師室の窓から 2012年4月

★4月3日退院を許されました。42日間の入院生活でした。神学校を卒業以来43年間伝道者として歩んできましたが、43年目の最後の40日余病床で過ごし、43年間の伝道者として の歩みを振り返る時ともなりました。激しい痛みが続く中で、自分が伝道者として歩みの中で励まされ続けた言葉を思い起こしました。 真っ先に思い起こしたのは「俺は飯より耶蘇が好きだ」という言葉です。これは日本の教会の歴史で大きな働きをされた植村正久先生が生涯「必要な試験問題」として自らに問 いかけていた言葉です。入院の期間、わたし自身も「俺は飯よりも耶蘇が好きなのか」と自らに問いかけ続けました。
 次に「神は愛なり」です。前任地の広島教会の最後の年に墓地を移転することになったとき、新しい墓碑に「神は愛なり」と記しました。1881年に広島に初めて福音を携えて 来た中島留吉牧師と妻花子さんを待ち受けていたのは耶蘇への迫害、弾圧でした。花子さんは翌年の2月に殉教しました。そして1945年8月6日の原爆で壊滅的な被害を受けました。 そうした歴史を持つ教会の墓碑としてどういう聖句がふさわしいかを祈る中で示されたのが「神は愛なり」です。伝道者として残された年月、やはり証ししたいのは何かというこ とを考えたとき、「神は愛なり」だということを心深く思わされました。 
 もう一つはゴスペルの父と言われるトマス・ドーシー作の「尊き主よ、わが手を取りたまえ」という歌です。この歌はドーシーが産後まもない妻と愛児を同時に失って絶望のどん 底に陥っている時に作った歌で、彼自身もこの歌を作ることによって立ち上がりました。こういう歌です。

 「尊き主よ、わが手を取りたまえ、われを導き、われを立たしめたまえ、
 われは衰え、力弱く、疲れ果てたり。嵐の中、闇夜を突き抜けて、
 われを光に導きたまえ、尊き主よ、わが手を取りて、みもとに導きたまえ。」

 今日までの43年間、奉仕したそれぞれの教会で、櫻井というと自転車、自転車というと櫻井、と言われるほど足となっていた自転車に乗ることが出来なくなりました。杖をつきな がらたどたどしい歩みかも知れませんが、尊き主に導かれながら、神さまの愛の大きさ、豊かさ、深さを証しして参りたいと願っています。入院中の皆さんのお祈りのお支えを心 から感謝するとともに、これからもお祈りのお支えをよろしくお願いします。

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