★例年にない厳しい暑さの日々です。8月6日も63年前を思い起こさせられる暑い日で した。
私は広島教会在任中、8月6日はできるだけ原爆投下の時の広島教会の牧師の悲しみ、 苦しみに思いを深めるよう努めました。63年前のあの日、牧師は早朝に家を出て、精神 講話をするため教会から4キロ位離れたところにある逓信講習所に行き、そこで8時15 分を迎えました。軽微な傷を受けたのですが、9時過ぎ、教会に戻ろうとして歩き始めま した。炎天下、しかもまわりは火の海です。被爆した人々が市の中心部から市外へと逃げ 惑うとき、牧師は市の中心部にある教会へと急いだのです。いつもなら1時間余なのに、 教会にたどりついたのは午後2時頃でした。ようやくたどりついたとき、教会は炎上して いて、家族の姿も見出すことができませんでした。しばし、呆然と立ち尽くし、心の中で すすり泣きながら、教会員一人一人、家族の一人一人を覚えて祈ったというのです。
炎天下、まわりは火の海のなか、教会へと急ぐときの牧師の思いを心に刻むために、わ たしは何度か8月6日前後の炎天下、かっての逓信講習所から教会への道を歩きました。 炎天下、教会へと急ぎ足で歩いていると、当時の牧師の教会への、教会員への、家族への 熱い思いが伝わってきて、厳粛な思いとなります。私にとって、あの道を歩くことは牧師 としての原点を確かめることでもあったことを思い起こします。
★8月の5回の日曜日、『哀歌』に耳を傾けました。イスラエルの民が、敗戦記念日になる と廃墟に集まって礼拝をささげていましたが、その礼拝の式文が『哀歌』です。「わたしの 目よ、わたしの目よ 涙を流すがよい。」(1:16)、「わたしの目は涙にかすみ、胸は裂 ける。」(2:11)、「昼も夜も、川のように涙を流せ」(2:18)、「わたしの目は休むこ となく涙を流し続ける。主が天から見下ろし、目を留めてくださるときまで」(3:49, 50)と、繰り返し涙を流せと勧められます。8月の一日一日は、涙を川のように流し続 ける日々でなければならないことをあらためて思わされました。