牧師室の窓から 2007年11月

★11月17日(土)午後、清水ヶ丘教会を会場にして《地の塩・世の光としての教会―「戦責 告白」40周年を覚える神奈川教区集会―》が開催されました。  1967年3月26日に「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任の告白」が発表され てから40年たったことを記念しての集会でした。教区に赴任してまもないのですが、発題 するよう要請され引き受けました。『秋田楢山教会百年史』、『広島教会百二十年史』編纂に 携わり、明治以来の教会の歩みがいかに国家の歩みと軌を一つにしていたかを痛感していた からです。  国家の一員であろうとしたため、戦時下に弾圧を受けたホーリネス教会の苦しみを共に出 来なかったこと、「開戦」も「終戦」も《大詔》として受けとめたので、戦前の教会の歩み は1945年8月15日で断絶しなかったこと等を語りました。 開会礼拝で関田寛雄先生が、教会は栄光の歴史であることを誇らなくていい、三度イエス 様を拒んでしまったペトロが赦された、そのペトロの上に教会が建てられたのだ、そのこと をしっかり見つめるとき、どういう教会を目指すのかがはっきりするのではないかとおっし ゃいました。本当にそう思います。  戦時下に大きな過ちを犯したこと、ペトロと同じようにイエス様は私たちの立ち直りのた めにも祈っていてくださることを真摯に受け止めるとき、どの人の痛みにも、悲しみにも共 感し、どの人にも慰めを差し出す教会となるのではないでしょうか。

★12月2日(日)から待降節(アドヴェント)です。この一年、偽装の問題、温暖化そして人 間の命が軽んじられる事件が相次ぎました。出口の見出し得ない混迷とした時代です。 D.ボンヘッファーは待降節の喜びは、炭鉱事故で生き埋めになった人々が、救援の人々 のハンマーの音を耳にするような喜びだと語っています。そうなのです。救いが近い、そう した感動を、喜びを覚えつつ、待降節の一日一日を過ごし、クリスマスを迎えましょう。

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