★夏期聖書学校の二日目、朝食前に例年のように「平和を祈る」集いを行いました。本年 は、長年、山形の独立学園で教師をしていた奥田貞子さんの『ルミちゃんの赤いリボン』 という絵本を読みました。瀬戸内海の小さな島にいたルミちゃんの両親が8月5日船に乗 って広島にでかけました。「ルミ、一つだけとまったらかえってくるからね」、と言って。 翌日も次の日もルミちゃんの両親は帰ってきませんでした。そのため、おじさんが3歳の ルミちゃんを連れて広島に行き,4日間ルミちゃんをおんぶして探しましたが、みつかり ませんでした。それから毎日、島の浜に出て「一つだけとまったらかえってくる」と言っ て出かけた両親の帰りを待ち続けたルミちゃんも原爆症で死んでしまいました。 奥田貞子さんが,ルミちゃんとの出会いを記した日記をもとにした絵本です。
★8月21日、戦争絶滅を訴え続けていたジャーナリストの、むのたけじさんが亡くなりま した。101歳でした。むのたけじさんは若い日に朝日新聞の記者でしたが、戦時下に真実 を伝えることができなかった、として、1945年8月15日退社し、故郷、秋田の横手で, 週刊新聞「たいまつ」を創刊し、反戦、平和を訴え続けていました。公の場での最後の発 言は,今年の5月3日の憲法集会でした。「戦争は人間をけだものにする。従軍記者も,正 気を保てるのは、せいぜい三日、それからは道徳観が崩れ,女性に乱暴したり、物を盗ん だり,証拠を消すために火をつけたりする。こういう戦争で社会の正義が実現できるでし ょうか。できるわけはない。だから戦争は許されない」と発言しました。むのさんが平和を訴え続けたもう一つの原点は,戦争末期、3歳の長女が疫痢になった とき、薬の入手が困難であったことに加え,病状が悪化した日、出征する医師の壮行会で 地域の医師が全員留守で、死なせてしまったことです。
★ルミちゃんも、疫痢で死んだむのたけじさんの長女も、わたしと同じ年です。 今回の夏期聖書学校の生徒は3歳から中学生まで7人でした。子どもたちにこうした悲し みを与えない世界をと祈りつつ、平和のために祈りました。
★預言者イザヤは、平和な世界は「生まれた子を死の恐怖に渡すこともない」(65章)、預言者ゼカリヤは「エルサレムの広場には、再び、老爺、老婆が座すようになる。・・・都の広場はわらべとおとめに溢れ,彼らは広場で笑いさざめく」(ゼカリヤ書8章)、だと預言していることに思いを深くさせられます。