2013.6.16

春の伝道礼拝説教

「私は 私らしく」

櫻井重宣牧師

詩編103:3〜5  
          ヨハネによる福音書5:1〜9 

 

   本日は春の伝道礼拝として、こうして皆さんとご一緒に礼拝をささげることができ、感謝しています。

 私たちの教会の入り口に「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」という聖書の言葉が掲げられています。これはイエスさまの言葉です。
 先程、耳を傾けたところにも38年もの長い間、病気で苦しんでいる人のことが記されていました。わたしたち一人一人も、わたしたちの周囲にいる人もいろいろな苦しみやつらいことを抱えています。病気に苦しむ人、家族の病気に苦しむ人、人間関係で苦しむ人、職場のことや学校のことなど、いろいろな苦しみをかかえています。もちろん、さしあたってはそうした大きな苦しみはない、とおっしゃる方もおられるかと思います。
 実は、イエスさまが「疲れた者、重荷を負う者」とおっしゃる「重荷」という言葉は、ギリシャ語で「フォルティオン」という言葉です。フォルティオンという語は、その人が生涯かけて負う課題、使命という意味を持つ語です。どんなにつらくても、他人が手を出せない、出してはならない課題で、その人が生涯かけて負うべき課題です。その人しか負えない課題です。
 イエスさまはだれにでも、フォルティオンはあるとおっしゃいます。そして、フォルティオンを抱えて歩むとき、疲れを覚え、行き詰まるときがあります。
 イエスさまは、私たち一人一人をそうしたものとしてごらんなり、招いておられるのです。イエスさまは、家族であっても友人であっても共に担うことが出来ないその人のフォルティオンを一緒に担ってくださる方です。疲れないように、生涯かけて負い続けることができるように、と一緒に担ってくださるのです。
 イエスさまは、わたしたちに、どんなにそのフォルティオンが重くてもわたしは放りだしたりしない、そのため辱められることがあっても放棄しない、十字架に架けられても最後まで負い続ける、あなたが生涯かけてあなたのフォルティオンを担い続けることができるよう、重い方はわたしが負うよ、どこまでもあなたと一緒に歩みつづける、とおっしゃるのです。けれども、イエスさまにお会いしたので、フォルティオンはなくなるというようなことはありません、こうした思いが「疲れた者、重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」、とおっしゃるイエスさまの心です。
 先程、ヨハネによる福音書5章1節〜9節に耳を傾けました。イエスさまが、お祭りのためエルサレムに上られたときです。ユダヤの国には一年に大きなお祭りが三つあります。そのお祝いの時には、地方にいる人もエルサレムに上り、神殿で礼拝をささげます。イエスさまはこうしたことを大切にされました。
 エルサレムの神殿の羊の門の傍らに「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊がありました。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていました。
 今、わたしたちが手にしている聖書はいうまでもなく印刷されたものです。聖書の印刷は今から500年位前からです。その前は写して伝えられました。わたしは少年時代、岩手県の一関で過ごしましたが、一関の隣りの町は昨年でしたか、世界遺産に登録された平泉です。平泉の中尊寺に、金粉でお経を写したものがあります。写経です。聖書もそうです。一字一句間違いないがないように慎重に写して伝えられたものです。
 今、私たちが手にしている聖書には記されていませんが、3節と5節の間に「彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである」という言葉が記された写本があります。こうした言葉が本来あったのではないか、そうすると、全体がスムーズに理解できることからでしょうか、こうした写本があるのです。
 ここに横たわっている多くの、いろいろな病気をかかえている人たちは、水が動くのを待っていました。この池は間歇泉なのでしょうか。ときどき水が動くとき、真っ先に入ったものはいやされました。こうした写本は天の使いが降りてきて、水浴びをして、そのために水が動く、天使が水浴びした後なので、どんな病気にかかっていても癒される、と考えられたものと思います。 
 イエスさまがこの「ベトザタ」という池にいったとき、目を留められたのは38年もの間病気に苦しむ人でした。池のそばに横たわっているその人に、イエスさまは「良くなりたいのか」と声をかけられました。そうしますと、その人の口から出た言葉はこういう言葉でした。
 「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りていくのです。」
 わたしたちはショックを受けるのですが、ここに、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが大勢横たわっていたのですが、水が動くとき、真っ先に入ることができるよう、一人一人虎視眈眈としていた姿です。病気があるので、互いにいたわり合う姿はここにはありません。ここも競争社会です。水が動いたとき、真っ先にベトザタ池に入れる人がいやされるというので、この人は38年間負け続けたのです。38年間、負け組でした。
 イエスさまは、この人に、「良くなりたいのか」「良くなりたいだろうね」とおっしゃいました。そうしますと、その人は、「はいそうです。癒してください」、と言わず、「イエスさま、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人はいないのです。わたしが行くうちにほかの人が先に降りていくのです」と言うのです。 
 イエスさまはこの人に、「起きあがりなさい。床を担いで歩きなさい」とおっしゃいました。これは、原文では、「あなたの床」です。ほかでもない、あなたの床を取り上げて歩きなさい、とおっしゃったのです。床は、担架みたいなものです。あなたの床を担いで、担って歩きなさい。あなたが負うべき課題を、苦しみを、フォルティオンを担って歩きなさい。わたしはあなたのフォルティオンをあなたと一緒に担おう、大丈夫だ、立ち上がりなさいとおっしゃったのです。  本日は説教の題を「私は 私らしく」としました。この説教題は、ご案内のチラシにも記しましたが、水野源三さんの『生きる』という詩の中の言葉です。こういう詩です。
 「神さまの 大きな御手の中で 
 かたつむりは かたつむりらしく歩み
 蛍草は 蛍草らしく咲き 
 雨蛙は 雨蛙らしく鳴き
 神さまの 大きな御手の中で 
 私は 私らしく 生きる」  水野源三さんは、1937年・昭和12年1月2日、長野県の坂城町でお生まれになりました。太平洋戦争が終わった翌年1946年・昭和21年、源三さんが9歳のとき、坂城町に集団赤痢が発生し、源三さんは弟さんと共に三週間も高い熱にうなされました。弟さんは治ったのですが、源三さんは余病を併発し、42度の高熱が続き、一命はとりとめたのですが、脳膜炎になり、手足の自由を奪われ、口も利けなくなってしまいました。ご両親はもう一度、歩けるようにとおんぶして遠い町までマッサージに連れて行ったりしたのですが、回復しませんでした。
 あるとき、坂城町のお医者さんが、源三さんを診察中、「いいか、俺がしゃべる事がわかったら目をふさげ!」とおっしゃいました。源三さんはすぐ目をつぶりました。これをそばで見ていたお母さんが、めくばせで源三さんの意志を探り出すことができる、と思い、源三さんの意志を確かめるとき、五十音表を用いることにしました。
 たとえば源三さんが「さむい」ということをお母さんに伝えようとするとき、お母さんが持つアイウエオ表で、アカサで源三さんはまばたきし、「さ」だと分かる、次に、アカサタナハマのマでまばたきし、さらにマミムのムでまばたきして「む」とわかる、次にアでまばたきし、アイのイでまばたきして「い」だと分かる、そして、はじめて「さむい」という源三さんの意志をおかあさんが分かるわけです。
 数年後、寝たきりの源三さんのところに坂城町の教会の宮尾隆邦牧師が聖書を届け、やがて、源三さんは聖書を読むようになりました。読むといってもお母さんが毎日読んでくださるのです。そして1950年13歳の時洗礼を受けました。
 さらに源三さんは18歳のときから、まばたきで、詩や短歌、俳句をつくり新聞に投稿するようになりました。わたしたちの教会も連なる日本基督教団出版局から毎月発行される『信徒の友』には詩や短歌、俳句のコーナーがありますが、水野源三さんの作品は毎月のように選ばれ、掲載されました。
 本日は、礼拝後、水野源三さんのお作りになった詩を紹介させて頂きたいと願っていますが、まばたき以外の意志伝達手段を失った水野源三さんがイエスさまにお会いして、自分は何を学び、何を得たかということが今ご紹介し、チラシにも記した詩によく言い表わされているのではないか、とわたしは思います。
 「神さまの 大きな御手のなかで 
 かたつむりは かたつむりらしく歩み
 蛍草は 蛍草らしく咲き 
 雨蛙は 雨蛙らしく鳴き
 神さまの 大きな御手の中で 
 私は 私らしく 生きる。」      
 私は 私らしく生きていい、そうしたメッセージをイエスさまから与えられ、神さまの大きな御手の中で 水野源三さんは水野源三さんらしく生きたのです。
 水野源三さんが、私は私らしく生きることができたのは、神さまの大きな御手に導かれ、包まれているからです。
 今日は、礼拝後も紹介させて頂きますが、水野源三さんの詩のキーワードの一つは、「包む」という言葉ではないかと思います。

 『草笛』
 「レンゲの花が咲く河原に腰をおろして 
 少年の日のように草笛を 
 思いきり吹いてみたい
 御神の大きな愛に 包まれていることを
 感じつつ」  (1973年)

     『沈丁花の香り』
 「庭の暗闇から ただよっている 沈丁花
 の香り
  目には見えないが 私を包む キリスト
 の愛」    (1981年)

  『秋』
  「百舌は 秋の朝を喜び 赤とんぼは 
 秋の空を喜び
 こすもすの花は 秋の陽差しを喜び
 秋にやさしくやさしく 包まれている私
 は 神さまの 恵みを喜ぶ」(1982年)

  『包む』
 「雪がとけた 窓ぎわの イヌフグリの花
  を 春の光が 優しく包む 
 枯木のような 私のからだを 
 キリストの愛が キリストの愛が 
 温かく包む」       (1983年)


 水野源三さんは、キリストの愛に包まれ、フォルティオンを負い続けた人です。それとともに、レンゲも、沈丁花も、赤とんぼも、イヌフグリも神さまの慈しみに包まれていることをうたいます。
 水野源三さんは1984年2月6日、亡くなりました。47歳でした。発病して38年です。ゆたかな生涯でした。わたしは私らしく生きました。
 ベトザタの池の人は、38年間、誰も助けてくれないと不平不満の38年を過ごしました。けれども、イエスさまはこの人に目を留め、自分の床を担いで歩きなさい、とおっしゃったのです。この人は、これ以後、心豊かな歩みをしていったのではないでしょうか。
 このように、イエスさまはわたしたち一人一人を、重荷を負い続けている人としてごらんいなり、あなたが生涯かけてフォルティオンを負い続けることができるよう、一緒に担うよ、疲れたときには休んでいいよ、と励まして下さる方なのです。イエスさまの優しさはこうした優しさです。  姜尚中という政治学者がいます。この春まで東京大学で教えておられましたが、4月から聖学院大学の教授になられた方です。実は、姜先生は、4年前にご子息を亡くされました。ご子息は心の病をかかえ、その苦しみの果てに帰らぬ人となりました。姜先生は、悲しみが深まりどれだけ嗚咽の涙を流したか分からない、時が経れば経るほど悲しみが深く深く自分の身体にくい込んできて、余りの悲しさから生きる力さえなくしてしまいそうだったとおっしゃっています。
 そうした悲しみのただ中で、2011年3月11日の東日本大震災に直面したのです。姜先生は何度か被災地を訪ねました。そうした中で一人の青年と出会いました。その青年は、海の中に沈んでいる遺体を引き揚げるライフ・セービングのボランティアをしていました。彼もまた震災前に大事な友人を病気で亡くしています。
 その青年との出会い、メールのやりとりを最近出版された『心』という小説に記しています。姜先生は、その青年に死と向き合うことによって生きることを学んで欲しいと記すのですが、それは息子の死に打ちのめされている自分へのメッセージでもあるのです。若くして亡くなった息子の最後の言葉は「生きとし生けるもの、末永く元気で」でした。そして、姜先生は「生きとし生けるもの、末永く元気で」という息子の最後の言葉を、息子と大震災で亡くなった2万人近い人々の遺言として受けとめ、生きて生きて、生きぬこうと志すのです。
 イエスさまは、姜先生がフォルティオンを負い続けることができるよう招いてくださると共に、亡くなった息子さんも大震災で亡くなった人々もフォルティオンを負い続けた人として招いておられるのではないでしょうか。もう少し言うなら、亡くなったお一人お一人をイエスさまはまるごと受け入れ、残された人々に「生きる」というメッセージを託しておられるのではないでしょうか。召された人々もイエスさまにフィルティオンを負って頂いた人だ、神さまの慈しみの光で見ることができるという姜先生の信仰の告白です。
 イエスさまがわたしが生涯かけて担うフォルティオンを一緒に担ってくださるので、わたしは、わたしらしく生きることができるのです。わたしがあなたのフォルティオンを負うので、あなたはあなたらしく生きて欲しいというのはイエスさまからわたしたちひとりひとりへのメッセージです。

(2013年 6月16日 春の特別伝道礼拝説教)