2009.10.18

「神が始められた善い業」

村上伸牧師

詩編46 
          フィリピの信徒への手紙1:3〜11

 
 今日は『フィリピの信徒への手紙』1章3〜11節に基づいて話します。初めての方もいらっしゃるようですから、なるたけ分かりやすく話したいと思います。
 フィリピというのは、ギリシャの町の名前です。2004年にオリンピックが開かれたアテネの町から直線距離で約三百キロ北に行った所で、『使徒言行録』16章12節に「マケドニア州第一区の都市でローマの植民都市」とある由緒正しい町です。そこへ、パウロが旅の途中で立ち寄って伝道しました。パウロという人は、最初はキリスト教の迫害者でしたが、ある日突然回心してキリスト者になった。何度も大きな伝道旅行をし、地中海沿岸をまたにかけて伝道して歩いたのですが、第二次伝道旅行の途中にこのフィリピの町に寄りました。
 ここで、彼は大変いい経験をしたようです。殊に、その町には女性で優れた人物がいました。女性が世界の教会の歴史の中で大きな働きをしたという例はいくつもありますが、女性というものは普段はあまり喋らず黙っているようだけれども、まあ、喋る人もいますが(笑い)、偉大な力を持っている。フィリピにもそういう女性が何人かいまして、彼女たちがもとになって教会が出来ました。パウロはこのフィリピ教会を愛して、生涯、この教会の人たちとは良い関係を保ち続けました。その教会の人たちに宛てて書いたのが『フィリピの信徒への手紙』なのです。
 私たちの人生には様々な人間関係があります。皆さんにも思い当たることがあるでしょうが、私にも、正直に言うと思い出す度に気が滅入るような人がいます。逆に、その人のことを思うと喜びが湧いてくるという関係もある。そういう人がこの世に一人でもいれば、私たちは生きて行けます。そういうものです。パウロという人にとっては、フィリピの教会の信徒たちは正にそういう存在でした。その人たちのことを考えると元気が湧いてくる。嬉しくなる。そんなことを、パウロはこの手紙の中に書いております。今日のところでも、3節と4節がそれです。
「わたしはあなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。」
 この手紙は、恐らく獄中で書かれただろうと言われています。しかも、その時、彼は「このまま殉教の死を遂げるかもしれない」と覚悟していたらしい。例えば、2章の17節に「更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても」と書いてあります。「わたしの血が注がれる」という言い方は異常ですね。自分の死を覚悟しているようにみえます。そういう予感が彼の中にあったのではないか。牢屋の中で、もしかしたら自分はこのまま自分は死ぬかもしれないと考えながら、書いているのです。続きを読みますと、「たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなた方も喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。」
何回も何回も繰り返して、「喜ぶ」という言葉を使っています。あなた方のことを思うと私は嬉しくなる。喜びの気持ちが湧いてくる。あなた方も喜んで欲しい。繰り返し繰り返し、そう言います。そのためにこの『フィリピへの信徒への手紙』は「喜びの書簡」と呼ばれています。不思議な手紙です。自分の人生の最後が迫っていることを予感しながら、その中で喜んでいる。これは、とても大切なことではないでしょうか。
一体、このような喜びの根拠はどこにあるのでしょうか?
 1章の5節と6節に、「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」とあります。この世の中にはいろいろ辛いこともあるけれども、必ず神の真実の支配が実現する日が来る。神の国が来る。それが福音(喜びのおとずれ)ですが、このことを信じるが故に、どんなことがあっても喜ぶ。そう彼は言うのです。
 次の6節に、これは非常に大切な言葉だと私は思うのですが、「あなた方の中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」とある。あなた方の中に善い業が既に始められている。神様がそれをお始めになった。そして、キリストの再臨の日までにそれを完成してくださる。そのように彼は言うのです。
 パウロはここで、「わたしがあなた方に福音を伝えたのだ」という言い方はしていません。パウロはいわば「先生」としてフィリピに行ったわけですし、その町で何人かの信徒が新たに誕生したわけですから、そういう意味で「先生」として尊敬されても一向に不思議ではない。けれども、「わたしが福音を伝えたのだ」とか、「わたしのお陰であなたがたは福音にあずかったのだ」という言い方はしません。そうではなくて、福音に与らせてくださったのは神様だ、自分ではない。あなたがたの中に善い業を始められたのは神様だ、私ではない。もちろん、いろいろな形で人間がそのために用いられるということはありますが、その背後でそのことを可能にして下さったのは神様だという信仰が彼の心の中に大変強くあった。ですから「あなた方の中でよい業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信します」と言っているのです。


 この「善い業」とは一体何でしょうか?このことを私は度々考えました。この場合は、先ほど申上げましたように、イエス・キリストの福音がその人の心の中に沁み入って来て、その人のそれからの生涯を決定するような力を発揮した、ということでしょう。そして、それが「善い」業と言われるのは、恐らく、「思いがけないような」出来事を通じて神様がそういう働きをして下さった、と信じられたからではないでしょうか。
 ここで、私自身の体験を話したいと思います。私が聖書のことを知るようになり、キリスト教徒になったのは、実はキリスト教とは何の関わりも持たない一人の人物の言葉を通してでした。不思議なことです。その人はクリスチャンではないし、教会にも行っていない。聖書なんて読んだこともない。そういう人が偶々言った言葉が私を変えたのです。私はそれから教会に行くようになり、キリスト者になりました。そういうことがこの世界の中にある。「善い業」というのはそういう意味も含んでいるのではないかと思うのです。少し詳しく話をしましょう。
 私の父は、陸軍幼年学校から士官学校を出た職業軍人でした。兄も軍人になり、戦争の末期に満州で戦死しました。そういうわけで、私もやっぱり軍人にならなければいけないじゃないかと思って、東京の陸軍幼年学校に入ったのです。ところが、8月の1日の夜中に、空襲でその学校は焼け、間もなく敗戦を迎えました。学校は解散になり、「お前たちは家に帰れ」と言われましたが、私には帰るべき家がありません。父は南京に抑留されていて音信不通、母は私の姉と妹と弟の3人を連れて満州に残っていました。まかり間違えば、姉や妹たちは「残留孤児」になっていただろうと思います。
 私はたった一人で焦土と化した東京におり、行くところも無いので親戚の厄介になって辛うじて生きていました。それも行き詰って、青森県の弘前市の外れにある母の実家に転がり込みました。そこに3才年長の従兄がいた。彼は旧制高等学校の学生でしたが、ある時、何かの話をしているとき、突然「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」と口走ったのです。私は本当にびっくりしました。幼年学校では「敵を憎む」ということを徹底的に叩き込まれていたからです。「アメリカ人やイギリス人は人間ではなくて獣だ」、「鬼畜米英、我らの敵だ!」と教えられ、私はそれを鵜呑みにしていた。
 そこへ、「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」という言葉が来たのです。そんなに美しい言葉は、かつて聞いたことがない。そこで、その従兄に、「それ何?誰がそんなこと言ったの?」と訊ねたのですが、彼は何も知りませんでした。どうやら路傍伝道か何かで、その聖句を小耳に挟んだらしい。彼も心を打たれたのでしょう。ちょっと口に出してみた。そういうことだったと思います。しかし、このたった一つの言葉が、私を深く感動させました。
 私は、どうしてもその言葉について正確なことを知りたいと思いました。色々聞いて見ると新約聖書というものにそれが載っているらしい、ということが分かった。次の日、私は早速弘前の町に行き、本屋さんでその新約聖書を買いました。その頃、絵表紙の新約聖書が大量に町に出ていました。アメリカの聖書協会が、わざわざ日本語で印刷して、戦後の日本に持ち込んだのです。ですから、ただ同様の値段で買うことができました。残念なことにそれはもう無くなってしまいましたが、今、手元にあれば、私はそれを宝物のように扱うだろうと思います。それを買ってきて、私は読み始めました。聖書の中にあるというから最初から1ページ1ページ開いてそれを探してみようと思ったのです。あれが『マタイによる福音書』の5章にあったのは幸せでした。『ヨハネ黙示録』などにあったら、何ヶ月かかっても見つからなかったろうと思います。5ページ位読んだとき、私はその言葉を見つけました。「これだ!」と歓声を上げ、心から喜んでそこを読みました。もっとそのことを知りたい。どこに行けばそういうことについての話を聞くことができるのだろうか。あれこれ人に聞くと、「教会という所がある。そこに行けば牧師が色々話をしてくれるらしい」と言ってくれた人がいました。そこで教会に行こうと思ったのですが、その頃、外地にいた父や母たちが帰ってきて、一緒に暮らすことになったのです。
 嬉しかったけれども、それからの生活は大変でした。住むところにも困ったし、貯金など全然無い。田舎ですから食料は親戚から分けて貰うこともできましたが、そういう生活の中で、もう学校なんか止めた方がいいのではないかと思っていました。そんなわけで、教会に行くことはいつしか忘れていた。実際に教会に行き始めたのは、それから一年位経ってからです。同じ青森県の八戸市に引っ越した後、その町で教会を見つけ、そこに通って洗礼を受けることになったのです。
 それまでの道のりを考えますと、先ほどのパウロの言葉「あなたの中で善い業を始められた方」という聖句が心に迫ってきます。「善い業」というのは、私の場合、クリスチャンではない人を通してさえ行われた神の業なのです。不思議なことです。でも、私はこのことをとても大切に思っています。「クリスチャンでなければ駄目だ」というようなことを言う人もいますけれども、そんなことはない。神様の愛はもっと広いのです。キリスト教と何の関係もない人も用いて、神様は「善い業」を始めることができる。そのことを先ず申上げたい。「あなたの中で善い業を始められた方」というのは、そういう形で私たちを動かして、私たちの生活を良い方向に変えてくださる神様のことです。


 もう一つ、お話をさせて頂きます。先ほど、戦後行くところがなくて、最終的には青森県の弘前の母の実家に転がり込んだというお話をしましたが、その前に、私は実に奇妙な体験をしています。行き場所もなくて東京でウロウロし、浮浪児のような生活をしている私のことを心配して、遠縁の小父さんがある日突然訪ねて来たのです。そして、「お前、俺と一緒に来ないか」と言う。話を聞いて見ると、彼はその頃、軍需省(戦争のために必要な物資を調達する役所)に勤めていたのですが、仲間と一緒に山奥で共同生活を計画していた。「気のおけない仲間だし、お前、こんな所で一人寂しく暮らしているよりは俺達と一緒に来ないか」と勧めてくれました。「渡りに船」という言葉がありますが、私はそれに乗ったのです。親戚の厄介になるのも楽ではありませんからね。
 その連中がしたことは、先ず軍需省の倉庫に保管してあった様々な物資を手当たり次第に盗み出すことでした。大きな声では言えないのですが・・・。例えば、米を何俵かトラックに積み込んだ。それから、大量の地下足袋。オートバイも一台ありました。ハーレーダビットソンです。組み合わせが妙なのですが、何でも手当たり次第に盗み出したという感じでした。最後に、ドラム缶に8本の純粋なアルコール。それらを埼玉県の寄居の山奥にあった小屋に運び込み、そこで共同生活を始めたのです。
 現金が足りないので、アルコールを井戸水で割って香料をたらし、「ウイスキー」と称して池袋の闇市に持って行って売る。私は15歳の少年ですから専ら留守番です。その連中は4〜5人いましたが、そんな風にして「ウイスキー」を売って、盛大にお金を儲けたらしい。その後、良くないところに遊びに行くわけです。そして夜明けに帰って来る。そんな無頼な暮らしでした。私も密造の片棒を担ぎました。一升瓶にレッテルを貼り付けるわけですが、それを書いたのは私です。まるで「山賊のような」自堕落な暮らしでしたが、その山賊たちは意外に優しくて、少年の私を可愛がってくれ、学校にも通わせてくれました。
 色々なことを経験しましたが、一番大切な思い出は、麓の酒屋さんの娘さんです。「トクちゃん」と呼んでいました。私より5歳ぐらい年上の人でしたが、その人が、私がまるで本当の弟であるかのように優しくしてくれました。服の破れた所は繕ってくれる。時々手打ちうどんを作って私に食べさせてくれる。お風呂を沸かして入りなさいと呼んでくれる。に本当に親切にしてくれました。私がグレなかったのはその人のお陰だと今でも思っています。
 ある時、こういうことがありました。私はその日、どうしたものか朝から虫の居所が悪かった。十五、六歳の男の子というものは、時々何でもないことで怒ったりします。ちょうどそういう時だったのでしょう。トクちゃんが悪いわけではないのに、大きな声で「バカやろう!」と怒鳴りつけて、彼女の頬を叩いたのです。その途端に私は「これは自分が悪い、謝まらなくてはいけない」と思ったのですが、意地もあって黙っていた。トクちゃんは悲しい顔をして涙をこぼしました。私はプイッと家を出て、一日中そこらをほつき歩いていた。しかし、他に行く所はありません。諦めて小屋に戻ってきた。もう夕暮れでした。そしたらトクちゃんが玄関のところに立っているのです。私の姿を認めたらしく、手を振って「よく帰ってきたわね」と言って・・・・。あんなに酷い仕打を受けたのに、そのことについて一言も文句を言わずに「よく帰ってきたわね。お腹空いたでしょう」と、蒸かしたさつま芋を山盛りにして出してくれたのです。その時になって私はやっと、「御免なさい」と謝りました。
 その人は、もちろんクリスチャンではありません。しかし、私が後に聖書を読むようになって、「自分の罪」について考え、また、「イエスは私たちの罪を赦してくださる方だ」ということを考えたとき、そのことがよく分かりました。自分には罪があるということ。そして、その罪が赦されている。聖書はそのことを語っているのだということが、私にはよく分かりました。ですから、全くキリスト教と関係のない一人の女性が、私のために、聖書を理解するための入口を用意してくれたと言わなければなりません。本当に感謝しています。
 「あなたの中で善い業を始められた方」とありますが、それは必ずしも教会を通して、あるいはクリスチャンを通して、ということではないかも知れない。クリスチャンでない人たちを通してさえも、神様はお働きになる。そのことを私たちは心に刻みたいと思います。
 後日談があります。
 私はその後、いつとはなしにトクちゃんのことを忘れていたのですが、今から十年程前のことでしょうか、ある夏、突然彼女のことを思い出したのです。トクちゃんは今、どうしてるだろう? お礼も言わずに別れてしまったけれども、是非一度会いたいものだ。そう思って、その村を訪ねたことがあります。昔とあまり変りませんでした。その酒屋さんもちゃんとありました。でも、そこへ行って、何と言って自分を紹介したらいいのかよく分からない。その頃は丸刈りの小さな子どもだったし、今こんないい歳をしたオヤジになって、ネクタイなんか締めて行ったら、分かってくれないのではないか。迷った末に、とにかくお店に入って行くと、そこに高校生ぐらいの女の子がいました。「何か御用ですか?」と言うから、「実は、私は今から30年以上も前に、この酒屋さんの娘さんのトクちゃんという人に大変お世話になったのですが・・・」と言うと、「アッ、居ます」と言って奥に入って行った。しばらくして、奥の方からドシン、ドシンと足音がして、そのトクちゃんらしい人が出て来て、私の前に立った。私はどういう風に自己紹介しようかと迷っていたのですが、その人が私の顔をジッと見て、「あんた、ヒロちゃん?」と言ったのです。ヒロちゃんというのは、その頃の私の呼び名です。あれから30年以上も経っているのに、ちゃんと覚えていてくれたのです。
 聖書の神様は、私たちのことを知っておられます。一人ひとりのことをちゃんと見ていてくださり、その名を呼んでくださいます。決してお忘れになりません。それが私たちの神様です。トクちゃんは、私に、その神様のことを改めて深く考えるようにしてくれたと言うべきでしょう。
 「あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなた方の中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」。このパウロの言葉を、今日はご一緒に考えることができたことを感謝しています。どうか、皆さんの上にその神様の「善い業」が働きますように・・・。

   

(2009年10月18日 秋の特別伝道礼拝説教)