2019.7.7
    

    

     

    

      

 

      深き淵より         

詩編130:1〜8  ローマの信徒への手紙3:21〜26

                          櫻井重宣

 

わたしたちは毎年8月、厳しい暑さの中で、地に平和をと祈り続けています。先週は74年目の8月6日、9日を迎え、今週は8月15日を迎えます。

ここ数年、世界の為政者の多くは世界の平和よりも、真っ先奥に自分の国の繁栄を考えるようになり、世界の歩みがギスギスしてきました。

 先日も教会学校の夏期聖書学校で紹介したことですが、わたしが茅ヶ崎に来る前に在任した広島教会で、ご自分の病が治ることが困難になったことがわかったとき、看病する奥さんと共に主の祈りを毎日祈られた方がおられました。その方は原子爆弾に被爆された方でした。爆心地に近いところにおられた方でしたので、あの日の悲惨さをつぶさに見られた方です。でもあの日のことを語ることはほとんどありませんでした。その方が、ご自分の病が治ることが困難だとわかったとき、奥さんに主の祈りを一緒に祈ろう、自分たち被爆者が祈らなければならないことは、この地に天におけると同じように地に御心がなることだ、この世界に平和が築かれることだ、自分はいつまで生きることができるか分からないが、この世界に神さまが天におけると同じように御心をなしてくださる、そのことを信頼し、そのことを望み見て主の祈りを祈り続けようとおっしゃり、病床で毎日奥さんと主の祈りを祈り続け、奥さんは御主人が召された後も主の祈りを祈り、今年の春、召されました。

わたしたちも、今、平和と程遠い時代を生きているわけですが、こうした時代であればあるだけ、「御国を来たらせたまえ 御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と心を込めて祈り続けたいと思うものです。

 

 さて今年の8月の礼拝では詩編の詩人の祈りに思いを深めつつ地に平和をと祈りたいと願っています。今日は詩編130に思いを深めます。

 冒頭に「都に上る歌」とあります。詩編120から134まで、「都に上る歌」という言葉が冒頭にあります。イスラエルの民は過越の祭など大切な祭りのときは神殿のあるエルサレムに各地から上ってきましたが、その旅のとき、こうした歌を歌いながらエルサレムを目指したのです。イスラエルの人々が親しんでいた詩編であることが分かります。

 

最初に「深い淵の底から、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください.嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください」、と神さまに願い出ています。

 「深い淵」というのは、底なしの深みです。人間の苦しみ、悩みが重なり、足がかりもない深い泥の中、そうしたところからなお詩人は神さまを呼ばわるというのです。

 旧約学者の左近淑先生が、一般の人にも詩編に親しんで欲しいという願いから出版した『詩編を読む』という本があります。この本の冒頭はこの詩編130の1節です。

左近先生は、この詩人の生きていた場所は深い淵の底、底なしの深みだ、そこから詩人はもう一つの極に向かって声を限りに叫んでいる、底なしの深みから、自分の世界を突き破って、神さまに賭けたところからこの詩は生まれたというのです。これは、光に照らされた闇の世界の魂の歌と言った方がふさわしいかもしれないと。どんなに自分の置かれたところが闇に包まれていても、詩人は光を照らしてくださる方を信じています。

 

 2節で詩人は「主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください」と祈ります。

 詩人が苦しみ、悩み、呻きの中から、神さまに祈れるのは、神さまはこうした呻きそのものである叫びに耳を傾けてくださるという信頼があるからです。

 3節、4節の祈りはこうです。「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら 主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり 人はあなたを畏れうやまうのです。」

 ここもそうです。詩人は根本的には神さまは赦してくださる方だ、だから祈ることができるというのです。

 5節、6節の祈りはこうです。「わたしは主に望みをおき わたしの魂は望みをおき 御言葉を待ち望みます。わたしの魂は主を待ち望みます 見張りが朝を待つにもまして見張りが朝を待つにもまして。」

 望みをおくという語は、からみつく、巻きつくという意味の語です。底なしの深みの中から、この詩人は神さまに真剣にからみついています。どんな暗くても、夜明けを待ち望んでいます。見張りが、夜回りが朝を待つにもまして主を待ち望んでいるというのです。

 わたしは高校3年のとき、何度も自分の学校が放火され、校舎の半分近くが焼けて無くなりました。学校を愛する思いから3年生が分担して学校に泊まり込んで放火から学校を守ろうとしました。そのとき、夜を徹して見張ることの大変さと夜回りが朝を待つことの思いを知ることができ、この詩編にとても親しみを覚えるようになりました。

 

この祈りの最後は7節と8節です。「イスラエルよ、主を待ち望め 慈しみは主のもとに 豊かな贖いも主のもとに。主は、イスラエルを すべての罪から贖ってくださる」

 主のもとには慈しみがある、贖いがある、主はすべての罪から贖ってくださる方だというのです。 

 

実は、この詩に三度「共に」という言葉があります。

一つ目は4節、赦しはあなたのもとに。あなたと共にあるのは赦し、です。

二つ目は7節、慈しみは主のもとに。主と共に慈しみがある、です。 

 慈しみは、愛です。 主と共にあるのは愛だというのです。

三つ目も7節、豊かな贖いも主のもとに。主と共に豊かな贖いがある、です。

 

旧約聖書はヘブライ語で書いてあるのですが、ヘブライ語で「共に」という語は「イム」です。わたしたちに親しみがあるのは、インマヌエルという言葉です。これは預言者のイザヤが、救い主の誕生を語った預言の言葉です。救い主が到来すると、インマヌエル、神我らと共にいます、が実現するというのです。

この詩人は、底なしの深みに赦しを差し出す神が共におられる、愛そのものである神が共におられる、贖いを差し出す神が共におられる、ですから、どんなに真っ暗闇の中にも、神さまに望みをおくことができるというのです。

 

敗戦記念日の礼拝で歌われた「哀歌」にこういう一節があります。

わたしたちが直面している底なしの深みの苦悩の只中に、呻くほかないわたしたちの苦悩の只中に、神さまが身を沈めて、わたしたちと一緒にうなだれ、嘆き悲しんでおられる、というのです。哀歌の詩人は、神さまはそういう方なので、わたしたちは神さまから慰めを受けるというのです。

 

このことは聖書が語る大切なことです。先ほどローマの信徒への手紙3章を読んで頂きました。

 神さまは罪あるわたしたちの世界に独り子イエスさまを贈ってくださり、イエスさまはわたしたちの罪を贖うために十字架の死を遂げてくださった、これは神さまのわたしたちに対する愛であり、憐れみそのものだというのです。神さまはわたしたちの苦しみ、悩みのただなかで、わたしたちとともにのたうちまわっておられる方だ、インマヌエルというのはそういうことだと聖書は語るのです。

 

 一昨日はナガサキの原爆記念日でした。永井隆というキリスト者のお医者さんがいました。カトリックの信仰者です。永井先生はご自分も被爆され、白血病で苦しまれ、1951年に召されましたが、永井先生は原爆投下の出来事を信仰的に問い続けました。そして、「人類の罪悪の償い」として、浦上の地が、「犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔として選ばれたのではないか」との結論を得ました。イエス・キリストが全人類の罪を贖うために十字架上で死なねばならなかったと同じく、長崎市民の命は人類に平和をもたらすための犠牲だった。だからこそ、再び地上に原爆で死ぬ者があってはならないと語り、永井先生は長崎が人類最後の被爆地となって、そうした尊い犠牲の上に世界の平和が築かれるよう祈ったのです。

 このように永井先生は原爆が投下されて数年後には、原爆で亡くなったお一人お一人をイエス・キリストの十字架の光で見つめることができたのですが、そのことを受けとめるまで時間を要した人もいました。

わたしが奉仕した広島教会で原爆をはさんで30年牧師をされた四竃一郎牧師は、被爆後数年目から「あの日」のことを語るとき「恵みのあと」という題で被爆証言され、牧師を隠退された後『恵みのあと』と題して説教しておられます。

その説教にこういう一節があります。

 「元来恵みは神の現在的賜物ですが、経験的には“過去”に属するものです。振り返ってその跡を探ね知る賜物です。“ああ、あれが恵みであったのか、あの時が恵みの時であった”と。・・・恵みのあとを偲ぶことは何と有り難いことでしょう。」

時々紹介する「朝の祈り」という写真があります。広島教会員の西名一彦さんが原爆ドームを朝9時に撮った写真です。朝の光が逆光になって十字架の光になっています。

西名さんはお姉さんを原爆で亡くしました。原爆が投下されたあと、何日もお姉さんを探しましたが遺体を見つけることは出来ませんでした。おそらく爆心地の近くで被爆されと思われますので、遺体は見つかりませんでした。西名さんは悲しく、つらく、「あの日」のことを50年間人前で語ることをしませんでした。

被爆して50年目、朝の光で十字架が写し出された原爆ドームの写真を撮ることができた西名さんは、原爆が投下されお姉さんをはじめ十数万の人が一度に亡くなり、その後も多くの人が苦しむという人間の罪の凝縮ともいうべき原爆の只中にもキリストがおられ、苦しみを共にしつつ、一人一人を神さまの御国へと導いてくださったことを覚えることができ、「あの日」のことを50年目の8月6日、口を開いて証言しました。原爆で亡くなったお姉さんの死を十字架の光の中で受けとめるまで50年もかかったことも重い事実です。

 十字架の主はどんな時にも共におられることに慰めをえたいと願うものです。

    (2019811日 主日礼拝説教)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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