2018.10.21

 

      

     

 

          惜しむ神               

     ヨナ書4:1〜11   ヨハネによる福音書3:16

                           櫻井重宣

 

わたしたちの教会では、神さまの愛の大きさを一人でも多くの方にお伝えしたい、どの人も神さまの愛に包まれていることをお伝えしたいと願い、春と秋に伝道礼拝を行っています。今回は今ささげている礼拝に合わせて、礼拝後には、子どもさんたちが心豊かに成長して欲しいと願い、日々子どもさんたちに関わっておられる小宮由先生のお話しを伺います。  

 今、わたしたちの国では、毎日のように子どもさんへの虐待のニュースや家族や他人を傷つけるというニュースが報じられています。ここ数日も学校に気にくわない人がいるのでその人を殺したい、でも、もし殺すと家族に迷惑がかかる、だから最初に家族を殺そうということで、お祖父さんを殺し、お祖母さんを傷つけるという中学生が起こした事件がありました。こうした心が痛む時代に生きているわたしたちは、もっと幼い人のため、若い人のために祈らなければならない、と思わされています。

 今日御一緒に耳を傾けるヨナ書はイエスさまのお生まれになる600年も700年前に記された書です。ですから、今から2600年も2700年も前の書です。今年の2月、『魚にのまれたヨナのおはなし』という絵本が出版されました。小宮由先生が翻訳された本です。この絵本もそうですが、ヨナ書は聖書の中でも短い書ですが、内容はとても豊かで多くの人に親しまれています。
 先ほどは司会者に4章を読んで頂きましたが、1章から3章にはこういうことが記されていました。 神さまはヨナに、「アッシリアの都、ニネベに行って神さまの言葉を伝えなさい。ニネベの町の人々の悪い行いがわたしの前に届いている」と命じました。ヨナはびっくりしました。アッシリアは大きな国で、戦争も強く、イスラエルの国も何度も戦争で打ち負かされました。イスラエルの人々にとって敵です。憎々しい国です。ヨナはアッシリアの都ニネベで伝道することをためらい、港に行ったとき、ニネベと正反対の方向のタルシシュに行く船に乗ってしまいました。神さまの命令に背いたのです。

 けれどもヨナが乗った船が沖にでたとたん、海は大荒れになりました。船乗りたちは、積み荷を捨て、船を少しでも軽くしようとしましたが、嵐はおさまらないので、誰のせいで嵐に直面したか、くじを引きました。くじはヨナにあたりました。
 ヨナはおそれおののき、船乗りたちに、わたしはヘブライ人です、イスラエルのものです、海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者です、わたしはニネベに行くように神さまに命じられたのですが、逃げてこの船に乗ったのです。さあ、わたしを海へほうり込んでください、そうすれば海は穏やかになります、大嵐になったのはわたしのせいです、と言いました。それでも乗組員は必死に船を漕いで陸に戻そうとしたのですが、ますます海は荒れたので、ヨナの手足を捕らえて海へほうり込みました。そうしますと、荒れ狂っていた海は静まりました。乗組員たちは神さまを畏れました。

 海にほうり込まれたヨナは大きな魚に呑み込まれ、三日三晩大きな魚のお腹のなかにいました。2章にはヨナが大きな魚の中で祈った祈りが記されています。こういう祈りです。「苦しみの中で、神さま助けて下さいと叫ぶと、神さまは答えてくださった。神さまから見放された陰府の底から助けを求めたとき、神さまは聞いてくださった。わたしの祈りが神さまに届いた」、と。わたしたちはこのヨナの祈りに本当に慰められます。

三日後、ヨナは大きな魚のお腹の中から陸地に吐き出されました。陸地に吐き出されたヨナに、神さまは再度「ニネベに行け」とお命じになりました。ヨナは、こんどは逃げ出さず、ニネベに行きました。ニネベの町を一回りするには三日かかるのですが、ヨナが最初の一日「あと四十日すればニネベの町は滅びる」と語ったとき、ニネベの人たちは自分たちのおごり、高ぶり、過ちに気がつき、身分の高い人も低い人もみんな悔い改め、それだけでなく王さまも布告を出し、人だけでなく、家畜も食べることも飲むこともしないように命令しました。国全体が悔い改めたのです。神さまはニネベの人々が悔い改めたのを御覧になって思い直され、宣告した災いをくだすことをやめられました。これが3章まで記されていたことです。

 そして4章になるわけですが、神さまがニネベに災いを下すことを思い直されたことがヨナには不満でした。ヨナはニネベの町が滅ぼされ、ニネベの人たちが、ヨナの警告にもっと耳を傾けるべきだった、と語ることを期待したのでしょうか。ヨナの関心は自分でした。そのため神さまがニネベに災いを下すことを思い直されたことが不満で、「わたしはこうなることが分かっていました。神さまは恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。神さまどうかわたしの命を取ってください。生きているよりも死んだ方がましです」と神さまに食ってかかりました。そうしたヨナに神さまは、「お前は怒るが正しいことか」とおっしゃいました。

 けれどもヨナは怒りを抑えられず、都を出て東の方に座り込んで、小屋を建て、都に何が起こるのか見届けようとしました。けれどもヨナが建てた小屋は十分なひよけがなく、暑さに苦しみました。神さまはとうごまの木に命じて芽を出させられました。とうごまの木が伸びてヨナよりも丈が高くなり、日陰ができてしのぎやすくなったので、ヨナの不満は消えました。けれども翌日の明け方、神さまは虫に命じて、せっかく大きくなったとうごまの木を食い荒らさせたので、木は枯れてしまいました。陽が昇ると、今度は焼けつくような東風が吹きつけ、さらに太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりし、死ぬことを願い、「生きているよりも死ぬ方がましです」とまた言いました。自分の思いと違ったことがおこると、ヨナ、生きているよりも、死ぬ方がましですと繰り返すのです。こうしたヨナに神さまは「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか」とおっしゃいました。ヨナは「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです」と答えますと、神さまは「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしがこの大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」 

 このようにヨナ書には、神さまはイスラエルの人だけでなく、ニネベの人ひとりひとりを、さらに家畜まで惜しむ方であることを語るとともに自分と考え方の違う人、民族が違う人を神さまが惜しむこと、愛することをなかなか受け入れられないヨナの苦悩が描かれています。こうしたヨナの苦悩がにじみでているのは、「生きているよりも死んだ方がましです」とヨナが二度も語っていることです。そして、神さまはそうしたヨナに、それは正しいことか、とおっしゃり、ヨナにも神さまがどの人をも愛する方であり、惜しむ方であることを分かって欲しい、ヨナにもニネベの町の人にも生きて欲しいとおっしゃっているのです。 

このヨナの苦悩はまさに現代に生きるわたしたちの苦悩です。2年前、神奈川で障がいを持つ方々の施設やまゆり園で、ひとりの青年が19人の方を殺すという事件が起こりました。御自分も障がいのある娘さんと暮らす最首悟先生はこの被告に面会し手紙をやりとりしています、最首先生は大学で生物学や社会学を大学で教えておられた方ですが、この青年の考えは今の時代の考え方を反映している、とおっしゃっています。実際、今の政治家は人間を生産性があるかどうかで評価しようとしています。

広島の原爆病院の院長を長年にわたってなされた重藤文夫先生は、73年前のあの日から休むまもなく被爆された方々の治療に励みましたが、夜を徹して治療された方々が朝には亡くなるという日が続きました。原爆が投下されて二ヶ月位たったとき、一人の若い医者が自ら命を絶ってしまいました。その医者は自ら命を絶つ直前まで、人間はこうした爆弾を落してよいのか、医者の働きは何か、本当に空しい、という問いを重藤先生にぶつけていたそうです。重藤先生は若い医者の問いに十分に答えることができず、結果として、彼を死なせてしまったという苦しみを抱えつつ長年にわたって被爆者の治療を続けておられました。この重藤先生の存在に大きな励ましを与えられたのが小説家の大江健三郎さんです。大江さんは最初のお子さんである光さんが障がいをもって生まれたとき、途方に暮れ、広島を訪ねました。重藤先生にお会いし、重藤先生が被爆された方々に治療を続けるお姿に思いを深くしました。そして自宅に戻り、なかなか反応しない光さんに関わり続けました。そうしたある時光さんが鳥の鳴き声には反応することに気がつき、それから光さんを森に連れて行ったり、レコードで鳥の鳴き声を聞かせ続けました。数年後、光さんが言葉を発しました。「これはクイナです」というアナウンサーの言葉でした。その後、光さんは作曲を始めました。

 熊本の水俣の上村良子さんは1956年、結婚して最初の子どもさん、智子さんが与えられました。けれども智子さんは生まれてまもなくからけいれんが止まらず、言葉も発することができません。その時はまだチッソの会社も認めなかったのですが、胎児性水俣病でした。お母さんが水俣でとれた魚を食べ、その魚の水銀を胎盤が吸い取って智子さんは水俣病になったのです。母親の良子さんは、自分の毒を全部吸い取った智子さんを、わたしの命の恩人だ、宝の子だと言って、21年間抱っこし続けました。アメリカの写真家ユージン・スミスさんが撮った良子さんが智子さんを抱く写真は教科書に載りました。このスミスさんはチッソの会社に座り込みしていたとき、暴行を受け、カメラを壊され、それだけでなく、脊椎を折られ、片目が失明しました。こうしたスミスさんや智子さんの存在によってその後、チッソの会社が水俣病を認めるようになりました。

 重藤先生が被爆された方々を、大江さんご夫妻が光さんを、上村良子さんが智子さんを慈しむ、惜しむ姿が焼き付きますが、そこには多くの時間、エネルギーが費やされています。神さまが十二万人のニネベ人々や家畜を惜しむためには多くの時間やエネルギーが費やされています。こうしたことは、ヨナがそうであったように多くの人々は理解できません。 

聖書が語ることは、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」ということです。どんなに時間がかかってもエネルギーを必要としても神さまはひとりひとりを惜しむ方だということです。そのために御自分のひとり子イエスさまをお与えになり、そのひとり子イエスさまが十字架につけられることがあっても、わたしたちひとりひとりを惜しむ方なのです。

     (20181021日 秋の伝道礼拝説教)