来るべき世代に恵みの御業を    

   詩編71:4〜19  エフェソの信徒への手紙1:1〜14

                           櫻井重宣

 

わたしたちの教会では毎年、年間聖句を決めて週報の右上に書き記しています。今年度は、詩編711819の「御腕の業を、力強い御業を 来るべき世代に語り伝えさせてください。神よ、恵みの御業は高い天に広がっています」を掲げ、この聖句に励まされて、この一年教会の歩みをと祈っています。

 

この詩編71は、長い人生を歩み、年齢を重ねてきた人の詩と言われます。わたしたちの教会だけでなく、今、全国どこの教会でも、若い人が少なくなっています。若い人が少ない、これからの教会はどうなるだろうかと心配しています。けれども、そのことは真剣に考えていかなければならない課題ですが、それと共に、長い年月信仰生活をおくってきた人たちの祈り、願いに、今のこのとき、耳を傾けることの大切さを思わされます。

 詩編71に耳を傾けましょう。4節〜6節をお読みします。

《わたしの神よ、あなたに逆らう者の手から 悪事を働く者、不法を働く者の手から わたしを逃れさせてください。主よ、あなたはわたしの希望。主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み 母の胎にあるときから あなたに依りすがってきました。あなたは母の胎から わたしを取り上げてくださいました。わたしは常にあなたを賛美します。多くの人はわたしに驚きます。あなたはわたしの避けどころ、わたしの砦。わたしの口は賛美に満ち 絶えることなくあなたの輝きをたたえます。》

先週の火曜日、わたしたちの教会とも深い関わりがあった白戸道子さんが召されました。御子息の白戸清先生から、お母様の容態が急変したというお電話を頂き、すぐタクシーで病院にかけつけましたが、神さまにお委ねするときがきていることを覚え、祈らせて頂きました。そのときにわたしの心にすぐ思い浮かんだのはこの詩編でした。

「主よ、あなたはわたしの希望。主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み 母の胎にあるときから あなたに依りすがってきました。あなたは母の胎から わたしを取り上げてくださいました」

この詩人の祈りは白戸道子さんの思いそのものです。

 

ところで、この詩をうたう詩人は若い時にはできたのですが、老いのため、できなくなってきたことが多くなり、不安を覚え、9節〜11節でこう祈ります。

《老いの日にも見放さず わたしの力が尽きても捨て去らないでください。敵がわたしのことを話し合い わたしの命をうかがう者が共に謀り 言っています 「神が彼を捨て去ったら、追い詰めて捕えよう。彼を助ける者はもういない」と。》

わたし自身、年齢を重ねてくるにつれ、この詩人の思いに共感を覚えます。

そして詩人は12節で、《神よ、わたしを遠く離れないでください。わたしの神よ、今すぐわたしをお助けください》と願っています。

 それでも詩人はそうした不安のただ中で、1417節で神さまにこう祈ります。

《わたしは常に待ち望み 繰り返し、あなたを賛美します。わたしの口は恵みの御業を 御救いを絶えることなく語り なお、決して語り尽くすことはできません。しかし、主よ、わたしの主よ わたしの力を奮い起こして進みいで ひたすら恵みの御業を唱えましょう。神よ、わたしの若いときから あなた御自身が常に教えてくださるので 今に至るまでわたしは 驚くべき御業を語り伝えてきました。》

 自分の人生を振り返り、神さまの恵みの御業を数え上げていこうとすると、

語り尽くすことができないというのです。 

 そしてわたしたちの教会が今年度の聖句とした18節と19節です。

《わたしが老いて白髪になっても 神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を 力強い御業を 来るべき世代に語り伝えさせてください。神よ、恵みの御業は高い天に広がっています。あなたはすぐれた御業を行われました。神よ、誰があなたに並びえましょう。》

 神さま、わたしは年老いています。けれども、神さま、捨て去らないでください。年老いたわたしですが、神さまがなされた業を、力強い御業を来るべき世代に語り伝えさせてください。神さま、あなたの御業はこの世界に、天に達しています。この世界はいろいろあなたの御心を悲しませることがありますが、この世界はあなたがすぐれた御業を行われている世界です、と詩人は祈るのです。

 年間聖句を決めるとき、「神さまの御腕の業を、力強い御業を 来るべき世代に語り伝えさせてください」、だけの方が簡潔でいいのではないかという意見もあったのですが、この世界は、恵みの御業が高い天に広がっている世界だ、そのことを信頼して、神さまの御業を証ししていこうということで「御腕の業を、力強い御業を 来るべき世代に語り伝えさせてください。神よ、恵みの御業は高い天に広がっています」を年間聖句としたのです。

 

 ところで、数年にわたってマタイによる福音書を学びましたが、今日からエフェソの信徒への手紙を学びたいと願っています。先ほど御一緒に耳を傾けたエフェソの信徒への手紙1章3〜6節をお読みします。

 

《わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリスト・イエスにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと,御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。》 

神さまがわたしたちを愛され、お選びになったのは天地創造の前からだというのです。天地創造の前というのですから、神さまはこの世界を、すべての人を愛で包んでおられるということです。そのことを確かなことにしたのはイエス・キリストによってだというのです。

詩編の詩人は「母の胎にあるときから」とうたっていますが、実は、この手紙を書き記したパウロは、ガラテヤの教会に宛てた手紙で、「わたしを母の胎内にあるとこから選び分け、恵みによって召し出してくださった神」と書き記しています。パウロは人生の半ばまで、イエスさまを信じる人々を迫害していた人ですが、イエスさまに出会い、イエスさまを信じ、神さまの愛が分かれば分かるほど、神さまは自分がイエスさまを信じたときから愛してくださったのではなく、母の胎にあるときから選び分かってくださっていたと告白するのです。そして晩年に書き記したエフェソの教会に宛てた手紙では、神さまは天地創造の前からわたしたちを愛してくださっているというのです。この手紙で,パウロは神さまの恵みの深さ、愛の大きさを語ります。

 そのことに続けてパウロはこう語ります。7節〜9節です。

《わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。》

 イエス・キリストの十字架の血によって贖われ、罪を赦してくださった、そのことによって神さまの恵みをわたしたちの上にあふれさせてくださった、神さまの秘められた計画をわたしたちに知らせてくださったというのです。すなわち神さまが天地創造の前からわたしたちを選び、愛してくださっていることは、イエス・キリストの十字架の贖いによって知ることができるというのです。

10節〜12節にこう記します。

《こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。》

 わたしたちはこうした神さまの御計画を相続するものとされた、だからその使命があるというのです。

 

使徒言行録に、パウロは2年余りエフェソで伝道し、エフェソ教会を形づくったことが記されています。その後、パウロはどうしてもエルサレムへ行かなければなりませんでした。パウロの命を心配した各地の教会は、パウロにエルサレム行きを思いとどまらせようとしたのですが、パウロは聞き入れませんでした。

いよいよ船でエルサレムへ出発するとき、ミレトスにエフェソの長老たちを呼び寄せました。長老たちが集まってきたとき、パウロはこう語りました。

《どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。・・・わたしが三年間、あなたがた一人一人に昼も夜も涙を流して教えてきたことを思い起して、目を覚ましていなさい》、と。

わたしたちの教会は、今、若い人が少ないかもしれませんが、わたしたちの教会は、神が御子の血によって、十字架の死によって、御自分のものとなさった一人ひとりが連なる教会です。パウロが心を込めて語ることに励まされ、この地にキリストのからだなる教会を形づくるために、そして恵みの御業を後の世代に語り伝えるために、この一年、心を一つにして信仰生活、教会生活に励みましょう。

 

   (20185月6日 主日礼拝説教)