2018.4.15

 死にて葬られ

    ヨナ書2:1〜11  マタイによる福音書27:57〜66

                             櫻井重宣  

 

本日はただ今お読み頂いたマタイによる福音書27章の後半に記されているイエスさまが十字架上で息をひき取った直後から金曜日の日没までのこと、そして翌日の土曜日、安息日の出来事に思いを深めたいと願っています。

冒頭の57節と58節にこう記されています。

「夕方になると、アリマタヤ出身のヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるように願い出た。そこでピラトは、渡すように命じた。」

「夕方になると」とありますが、イエスさまが十字架上で息を引き取ったのは金曜日の午後3時頃です。そして金曜日の日没から安息日が始まります。ですから「夕方になると」というのは安息日がまもなく始まる金曜日の夕方の出来事です。安息日が始まったら、死体にふれることができません。まして埋葬という仕事はできません。限られた時間しかないのですが、アリマタヤ出身で、イエスさまの弟子であったヨセフがピラトのところに行って、イエスさまの遺体を渡してくれるように願い出て、イエスさまを葬ったのです。

ヨセフに関して、四つの福音書ともアリマタヤ出身ということは共通していますが、わたしたちが学んでいるマタイ福音書では、「この人もイエスの弟子であった」,マルコ福音書では、「身分の高い議員」であった、ルカ福音書では、「ヨセフという議員がいた。善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。神の国を待ち望んでいた」、ヨハネ福音書では、「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人を恐れて、そのことを隠していた」とあります。

議員であったヨセフ、イエスさまの弟子でありながらそのことを隠していたヨセフがイエスさまの十字架の苦しみを遠くからでしょうか見ていたものと思われますが、イエスさまが息を引き取られたとき、突き動かされるものがあったのでしょうか、勇気を出して、イエスさまの遺体の引き取り方をピラトに願い出たのです。そして、ピラトの了承を得て、ヨセフはイエスさまの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな岩を転がしておいて立ち去ったというのです。日没までの限られた時間の中で、ヨセフは精一杯のことをしています。

ヨセフはイエスさまの葬りの業をなしたことで、イエスさまの弟子であることが公になり、議員を続けることができなくなったものと思われます。

「本当に、この人は神の子だった」と告白したその日の十字架刑の執行責任者であった百人隊長とおなじようにアリマタヤのヨセフもイエスさまの十字架の苦しみをつぶさに見て、それまでは隠していたイエスさまの弟子であることを公にし、イエスさまの遺体を引き取り、葬ったのです。

 

ところで、ヨセフがイエスさまを葬った様子を最後まで見届け、ヨセフが立ち去った後も、墓の方を向いて座っていた二人の婦人がいたことをマタイは告げています。マグダラのマリアともう一人のマリアです。先週も心に留めたことですが、マグダラのマリアはイエスさまに七つの病気を癒やしていただいた人で、もう一人のマリアはイエスさまのお母さんのマリアと思われます。二人のこの姿は印象的です。イエスさまの十字架の苦しみを最後まで見ていて、死んで墓に葬られた様子を最後まで見届けていた二人の婦人がイエスさまのよみがえりの証人となったのです。

 

 62節以下は四つの福音書においてマタイだけが記している事柄です。

《明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て、死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」ピラトは言った。「あなたたちには番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見晴らせるがよい。」そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。》

 62節に「明くる日、すなわち,準備の日の翌日」とありますが、明くる日は土曜日です。準備の日の翌日、まさに安息日です。「安息日に」と、書くことができなかったので、こうした言い回しをマタイはしたものと思われますが、安息日に祭司長たちやファリサイ派の人々はピラトのところに出かけたのです。イエスさまが安息日に病気を癒やした、と言って咎めた祭司長たちやファリサイ派の人々が、安息日にローマの総督のもとで協議しているのです。そして、協議の上、イエスさまが息を引き取り、埋葬されてもなお不安を覚え、三日目まで墓の石に封印し、番兵をおいていたというのです。

 

昨年は宗教改革500年でした。当時の教会が免罪符を売っていたことをマルティン・ルターが抗議、プロテストし、わたしたちが耳を傾け、よって立つのは聖書のみだ、そしてわたしたちの罪が赦されるのはイエスさまの十字架の贖いによってだけだ、免罪符によってではない。わたしたちは万人が祭司だ、そのことを主張し、教会が本来立つところに立ち返ろうとしたのが、後に宗教改革と言われるようになりました。実は宗教改革ということで大きな役割を果たしたのは、ルターやカルヴァンだけではなく、絵を描く画家たちも大きな役割を担いました。

 その一人がグリューネバルトです。イーゼンハイムの礼拝堂にある、イエスさまが十字架にはりつけになった絵が描かれたのは、ルターの宗教改革の数年前です。息を引き取ったばかりのむごたらしいイエスさまを描きました。絵の左側では、マグダラのマリアが祈っています。イエスさまの母マリアは失神して倒れ,それを愛する弟子ヨハネが抱きかかえています。けれども絵の右側には、洗礼者ヨハネが描かれています。彼の顔つきはさわやかで、わたしが指さしてきたのはこの人でまちがいなかったと告白しているようです。イエスさまが十字架に架けられたとき、すでにヨハネは打ち首になっていますが、グリューネバルトはこの絵にヨハネを登場させています。マタイ福音書ではヨハネが逮捕され,獄中にあるとき、自分が指差してきたのはナザレのイエスでよかったのか、そうした疑問をもち、自分の弟子をイエスさまのもとに遣わしています。そのヨハネに、これほどまで十字架で苦しみ、息を引き取ったイエスさまこそ救い主だと告白させているのはグリューネバルトの信仰告白です。

 中世の時代、イエスさまは栄光の姿で描かれました。十字架の場面もどこか栄光の姿、美しさがありました。けれどもグリューネバルトは十字架で息を引き取ったばかりのむごたらしいイエスさまを描き、この方がわたしたちの救い主だと洗礼者ヨハネを通して告白させているのです。

 ルターの宗教改革より数年後ですが、ハンス・ホルバインが「墓の中のキリスト」という絵を描きました。十字架で息を引き取ったあと、安息日が始まるというので大急ぎで葬られたイエスさまが描かれています。スイスのバーゼルの美術館にあります。長さが2メートルもある大きな絵です。この絵には、中世の画家が描こうとした美しさ、栄光の姿はまったくありません。鞭打たれ、多くの人からつばを吐きかけられ、十字架上で釘を打たれ血が流れ出たイエスさまの遺体をきれいにする時間もなく葬られたイエスさまが描かれています。むごたらしいイエスさまです。

 ロシアの文豪ドストエフスキーがこの絵の前に立った時、激しいショックを受け、てんかんの発作の前兆のような症状から倒れそうになり、同行していた人に抱えられた、そういう絵です。お読みになった方もおられるかと思いますが、ドストエフスキーは『白痴』という小説でこの絵のことを取り上げています。

 ドストエフスキーはこの小説で「キリストのすべての弟子や、キリストに従って十字架のそばに立っていた女たちや、その他彼を信じ崇拝していた人たちがこんな死体を眼の前にしたなら、どうしてこの受難者が復活するなどと信じることができるだろうか、という疑問がおこる。」「この死者をとりまいていた人々は,自分たちの希望と信仰ともういうべきものをことごとく粉砕されたこの夕べ、かならずや恐ろしいわびしさと心の動揺を感じ、その場を去っていったにちがいない」と。けれどもこの虚しい現実のただ中でこのようなかたちで立ち向かったイエスさまに限りない慰めがあり、こうしたむごたらしい姿で横たわったイエスさまがよみがえったことをホルバインは描き、ドストエフスキーは書き記すのです。

グリューネバルトやハンス・ホルバインが絵で描こうとしたこと、またドストエフスキーが小説で語ろうしていることは聖書が語る大切なことです。

 

先ほどお読みいただいたヨナ書はニネベに行くように神さまから命じられたヨナでしたが、神さまの命令に逆らい、逆方向に行く船に乗ったのですが、嵐に直面し、魚に飲み込まれてしまいました。魚のおなかの中でヨナの祈った祈りが先ほど耳を傾けたヨナ書2章です。陰府の底でヨナは神さまがニネベの人を愛していることを知ったのですが、百人隊長そしてアリマタヤのヨセフあるいはグリューネバルトやホルバインそしてドストエフスキーは十字架のイエスさまをつぶさに見つめることで神さまのわたしたちへの愛の豊かさを知ると共に復活の証人になっているのです。復活の証人ということは、神さまが十字架で死に、葬られたイエスさまをよみがえらせたことの証人ということです。

 

わたしが神学校に入って最初の年、井上良雄先生が、神学校の礼拝で、詩人の高見順さんに会ったときのことをお話しされました。若いとき、井上先生と高見さんは同じ大学で励まし合っていたそうです。そして井上先生は文芸評論、高見さんは詩人として活躍するようになったのですが、井上先生は戦時中あることがきっかけで教会の門をたたいて洗礼を受け、それをきっかけに筆を折り、戦後は神学校でドイツ語を教え、カール・バルトの翻訳をするようになりました。そのため井上先生と高見順さんが会う機会はなくなったそうですが、1965年、高見さんが食道ガンの末期で苦しんでいたとき、高見さんは若い頃親しい交わりを持っていてその後キリスト者になった井上良雄先生に会いたいと願い、共通の友人であった評論家の平野謙さんの仲立ちで井上先生は高見順さんを見舞ったというのです。井上先生は病の苦しみとこの苦悩をどう受けとめたらよいのか悶々としている高見順さんにお会いして思い起したのがハンス・ホルバインの「墓の中のキリスト」であったというのです。そして井上先生は、」た高見さんんに、十字架上で血まみれになり墓の中で横たわっているイエス・キリストによって慰めを得て欲しいと願ったとおっしゃっていました。

 

井上良雄先生との再会を願った高見順さんは、その後こういう詩を書きました。

《庭で》

「天が今日は実に近い 手のとどきそうな近さだ 草もそれを知っている

 だから謙虚に葉末を垂らしている」

「光よ 山へのぼって探しに行けぬ

 光よ 草の間にいてくれぬか」

「わたしはいま前後左右すべて生命にかこまれている

 庭はなみなみと命にみちあふれている

 鳥の水あびのように私は今草の上で生命のゆあみをする」

 

死にて、葬られたイエスさまがよみがえられた、そこにわたしたちの信仰の根幹があるのです。

             (2018415日 主日礼拝説教)