2017.10. 1

起きよ、夜は明けぬ        

イザヤ書60:1〜7  マタイによる福音書25:1〜13

櫻井重宣

                     

本日は世界聖餐日です。世界中の教会で、地に平和をと祈りつつ聖餐式が行われています。

 10月の第一日曜日を世界聖餐日と最初に定めたのは1936年昭和11年のアメリカの長老教会でした。ドイツや日本が戦争にまっしぐらに進み、世界の平和が脅かされていることを深刻に受けとめ、この世界は、イエスさまが十字架の死を遂げ、よみがえられた世界だ、イエスさまが御自分の命を差し出してまで、どの人の命をも大切にされた、そのため国と国とが戦争するようなことがあってはならない、そのため世界中の教会が一つ思いで聖餐式を守ろう、と訴えて10月の第一日曜日に聖餐式を行ったのです。

 けれども数年後にはヨーロッパでは世界規模の戦争が始まり、アメリカの国も日本との戦争が避けられない情勢に心を痛めたアメリカの諸教派の連合団体であるアメリカキリスト教同盟協議会は、長老教会にならって1940年、昭和15年に10月第一日曜日を世界聖餐日と定めました。

 こうしたアメリカの教会の祈りは日本の教会にも届き、わたしたちの国のキリスト者もなんとか戦争を避けたいと願って1941年昭和164月、平和使節団をアメリカに派遣しました。太平洋戦争が始まる8ヶ月前です。賀川豊彦先生や小崎道雄先生、河合道先生など7人です。また日本の7人の代表の一人は宣教師のアキスリング先生でした。平和使節団は船でアメリカに行き、ロスアンゼルスで世界の平和とくに日本とアメリカ両国の平和のためアメリカの教会の代表者たちと話し合い、祈りを合わせました。残念なことに数ヶ月後、戦争になってしまいましたが、アメリカの教会の祈りを重く受けとめていた日本のいくつかの教会は戦後まもない194510月に世界聖餐日としての礼拝をささげています。 

世界聖餐日礼拝のときに毎年、このことを紹介していますが、今年はここ数年にないほど世界の平和が脅かされています。世界の教会と心を一つにして礼拝を、とくに聖餐式をと願っています。

 

さて、本日からマタイによる福音書25章に記される三つの有名なたとえを学びます。一つは今日学ぶ「十人のおとめ」のたとえ、二つ目は次週に学ぶ「タラントン」のたとえ、そしてもう一つは来月学びますが、最後の審判のとき、いと小さきものの一人にしたかどうかが問われるというたとえです。三つ目はトルストイの「愛のあるところに神います」〜靴屋のマルティン〜で親しまれています。

そして、わたしたちがこの三つのたとえを学ぶとき、最初に心に留めたいことは、この三つのたとえを語ったあと、26章からイエスさまが十字架に架けられる直前の記事になっているということです。十字架を前にして最後にお話しされたたとえです。ですから単純にこの人は神さまに受け入れられ、この人は救われない、永遠に裁かれると読むのではなく、このままでは裁かれてしまうような人たちのためイエスさまが十字架の道を歩もうとしておられる、そういう光の中でこの三つのたとえを学ぶことが大切ではないかと思わされます。

 

さて、今日は1節から13節に記されている「十人のおとめ」のたとえですが、1節にこう記されています。

「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出ていく。」

天の国、イエスさまがもう一度おいでになる、そのことを待つということは

こういうことだと言ってイエスさまはたとえ話しをされました。 

ユダヤの結婚式は、花婿の家で夜行われました。結婚式に先立って花婿が花嫁の家に迎えに行って連れてきます。この十人のおとめたちは花嫁の家の玄関で待っている花嫁の友人たちです。そして花婿が迎えにきたとき、花嫁のお供をして花婿の家に行き、それから祝いの宴が始まるのです。

 2節から4節をお読みします。

「そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれともし火と一緒に、壺に油を入れていた。」

 賢いか愚かかの違いは油の用意をしていたかどうかです。

5節から7節をお読みします。「ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。」

 花婿の到来が遅れたので、愚かなおとめたちも賢いおとめたちも皆眠り込んでしまったというのです。この二日後、イエスさまは弟子たちと最後の晩餐をされたあと、ゲッセマネの園で祈られますが、イエスさまがペトロ、ヤコブ、ヨハネに、目を覚まして祈っていて欲しいと願われたのに、三人の弟子たちは眠ってしまいました。けれどもイエスさまは、お前たちは弟子失格だとおっしゃいませんでした。ここでも賢いか愚かかの違いは予備の油を用意していたかどうかです。

 

 8節以下にこう記されています。

「愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人さま、御主人さま、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

 こうして読んでいきますと、このたとえにすぐそうだ、となかなか言えません。既に心に留めたのですが、愚かな五人のおとめだけでなく、賢い五人のおとめも眠ってしまったのですが、最後の13節には「だから、目を覚ましていなさい」とイエスさまはおっしゃっています。また、この五人の賢いおとめは少しいじわるな思いもします。どうして油を分け合わなかったのでしょうか。また、御主人さまもそうです。せっかく待っていたおとめたちが油の用意がなかったという理由で「わたしはお前たちを知らない」というのはあまりひどいではないか、と思ってしまいます。

 

 このように、わたしたちは、十字架を前にされたイエスさまが、このたとえで何を語ろうとしておられるかとまどいを覚えます。けれどもあらためて25章に記される三つのたとえを見ますと、いずれも24章からの続きで、終りのとき、イエスさまがもう一度おいでになるのを今の時をどういう姿勢で待つのかを語っています。24章の学びの時にも心に留めたことですが、イエスさまは数日後には十字架の死が避けられないことを覚えています。そしてその後、イエスさまがもう一度おいでになるときまで、弟子たちは戦争や自然災害に直面することが予測されます。けれども終りの時は絶望の時ではなく、今日学んでいるたとえでいうなら、花嫁の友人と思われる10人のおとめは、結婚式という喜びの時を待っています。終りのとき、イエスさまがもう一度おいでになるときは、究極的には喜びの時だということです。

 

最初に司会者のイザヤ書60章を読んで頂きました。そこには、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいるが、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。国々はあなたの照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって進む」とありました。どんなに闇に包まれていても、この世界に神さまは光を注いでくださる、その光に向かって歩もう、預言者のイザヤはいうのです。

 広島に在任中親しい交わりを続けていた牧師が、自分の死が避けられないことが分かったとき、小さな説教集を出版しましたが、その書の題名は「彼方からの光を受けて」でした。自分の生涯は、彼方からの光を受けていた。そして志半ばで生涯を終えるが、この苦しい病のときにも彼方から光が注がれている、その光に向かって歩むというのです。

 

昨年から今年にかけて、教会でもそうでしたが、わたしの身近におられた方々が何人も亡くなりました。そのお一人で、この教会にもおいで頂いたことがある四竃揚牧師も昨年亡くなりました。原爆で奇跡的に助かった方ですが、再び核兵器が用いられることがないよう、「あの日」のこと、広島に原爆が落とされた日のことを最後まで証言されていました。先生の奥さまがおっしゃっていましたが、あの日のことを証言された夜、四竃先生はうなされるというのです。けれどもうなされても証言をやめることはありませんでした。 

 その四竃先生が、亡くなる一年程前に、今日の箇所を説教しています。その説教で、四竃先生は、かしこいおとめたちが用意した油ということで、明治時代から昭和の初期、キリスト者として歩まれた内村鑑三先生の「後世への最大遺物」という講演を紹介します。内村先生は、後世に遺す最大のものは、この世の中は決して悪魔が支配する世界ではなく、神さまが支配しておられる世界だ、失望の世の中にあらずして、希望の世の中である、この世の中は悲しみの世の中ではなく、喜びの世の中であることを我々の生涯で実行して、それを次の世界に贈り物としてこの世を去ることだというのです。

 四竃先生は、原爆が投下されるというまさに地獄のような苦しみを経験された牧師ですが、この世界はイエスさまが十字架の死を遂げ、よみがえられ、今は神さまの右に座してこの世界のためとりなしておられる、そのイエスさまが終りのときもう一度おいでになる、この世界は失望の世界ではない、神さまが支配しておられる世界だ、この世界は究極的には喜びの世界だ、そのことを証したのが四竃先生のご生涯でした。

 最初にも申し上げましたが、今日は世界聖餐日です。わたしはとくに1945年の10月にアメリカの教会や日本のいくつかの教会で守られた世界聖餐日礼拝に深い思いをさせられます。戦争にならないように祈ったが戦争になり多くの犠牲がでたことで、自分たちの無力さに徹底的に打ちのめされていたに違いありません。しかし、自分たちが無力であっても、これで終りではない、この世界に神さまがもう一度イエスさまを贈ってくださる、そのことを望み見て聖餐式を守ったことに深い思いをさせられます。 

 

 今、わたしたちの世界は、再び核兵器が用いられるのではないかという不安のただ中にあります。どんなことがあっても核兵器が用いられることがないように祈りたいと願っていますが、広島や長崎では、世界のどこかで核実験が行われると、そのことへの抗議の思いを込めて、平和公園に数十人の方が沈黙したまま座り込みます。広島大学の教授であった森滝市郎先生は自らも被爆された方ですが、高齢になっても座り込みをされていました。その森滝先生が亡くなったとき、追悼の番組で、作家の大江健三郎さんがこういうことをおっしゃいました。

 「現在の核の状況って決してよくない。しかし、座り込む人間がいないと、いるっていうこと、それは全く違う。どっかの惑星から地球を見てる人がいるとして、座り込みをしてる人間がいるということは一つの光のように惑星の人間に見えると僕は信じています。」

 世界中の教会が聖餐式をしても、第二次大戦前のアメリカや日本の教会のように無力で戦争の開始を止めることができなかったように、世界の大きな流れの前に無力であるかもしれません。けれども、神さまは、ここでもあそこでも、この国でもあの国でも世界の平和を願いつつ聖餐式を行っている、そのことに光を見いだしておられることをわたしたちは信じたいと願うものです。わたしたちもこのところで小さな光を灯しつつ聖餐式をと願っています。

   (2017101日 世界聖餐日礼拝 説教)