2015.10.11

「わたしの母、わたしの兄弟」

詩編133:1〜3  マタイによる福音書12:43〜50

櫻井重宣

 
 本日は神学校日です。現在、わたしたちの日本基督教団には、伝道者を養成する神学校として、今、わたしたちの教会で教会実習に励んでいる飯泉有一神学生が学ぶ日本聖書神学校、今夏、夏期伝道にお招きした柴田安子神学生が学ぶ東京神学大学、また農村での伝道をと願って設立された農村伝道神学校、ホ―リネスの伝統を持つ教会の伝道者を養成することを願いとした東京聖書学校、そして総合大学にある関西学院大学神学部、同志社大学神学部の六つあります。本日は六つの神学校で学んでいる神学生を覚えて、そして伝道者を養成するために尽力している神学校とそこで奉仕する神学校の先生方、職員の方々の働きを覚えて、全国の教会で祈る日です。また、伝道献身者奨励日として、教会の中から伝道者として献身する人が与えられるよう祈る日です。こうした日ですので、説教に引き続き、飯泉有一神学生に証しをして頂きます。

   本日はマタイ福音書12章43節以下を学びます。もう一度43節〜45節をお読みします。
 《汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、「出て来たわが家に戻ろう」と言う。戻って見ると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪い七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。》
 イエスさまがこのたとえを語るとき、イエスさまに相対しているファリサイ派の人々や律法学者たちのことが念頭にあったものと思われます。自分は正しい、自分は救われたと思って安心し、自分の家は清いと思っている人たちです。けれども、いつしか、出て行った悪霊が戻って来て、しかも七つもの悪霊を連れ込んで住み着いてしまう、というのです。
 イエスさまはこのたとえでどういうことを語ろうとしたのでしょうか。安息日を守っていることを誇るなかで、いつしか苦しんでいる人、病んでいる人の苦しみに思いを深めることができなくなっているファリサイ派や律法学者たちのことを語ろうとしたものと思われます。

 後半の46節以下には、イエスさまとイエスさまの家族とのことが記されています。
 イエスさまが群衆に話しておられたとき、イエスさまのお母さんと兄弟たちがやって来て、話したいことがあると言って外に立っていました。自分たちは外にいて、中にいたイエスさまに出てくるように、というのです。
 マタイ福音書の13章には、イエスさまがナザレの会堂で教えておられる姿を見て、町の人たちが、「この人は大工の子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」と言って、驚いたことが記されています。イエスさまには何人かの弟、妹たちがいたことが分かります。父親の名前は記されていません。イエスさまが神さまのご用を始めたのはおよそ30歳のときであった、とルカによる福音書に記されているので、父親のヨセフが死んだあと、弟たちが自立するまで、イエスさまは大工の仕事をしていたものと思われます。そのイエスさまが、30歳のときから、神さまのお仕事を始めました。イエスさまの周りにはいつも病を癒して頂きたいと願う人々、またイエスさまの語ることに喜んで耳を傾ける人々がいました。ナザレの村の人にとっては、さらに家族のものにとっては、イエスさまのこうした姿は理解できなかったものと思われます。マルコ福音書には、イエスさまの身内の人たちが、あの男は気が変になっているとうわさされていたので、取り押さえに来たことが記されています。
 今日の箇所で、ある人が、イエスさまに「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」、と言いますと、イエスさまは外に出て行こうとされず、弟子たちの方を指して「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人がわたしの兄弟、姉妹、また母なのである」、とおっしゃったのです。

 福音書を読んでいますと、イエスさまが家族に冷たい響きのする言葉を語っていることが気になります。ヨハネ福音書ではイエスさまと弟子たちが結婚式に招かれたとき、母マリアから「ぶどう酒がなくなりました」と言われました。そのとき、イエスさまは母マリアに「婦人よ、わたしとあなたはどんなかかわりがあるのですか」と言いました。そのあと、イエスさまは召し使いに水を汲んで来て、水がめに水をいっぱい入れなさい、とおっしゃいました。召し使いたちがその通りにしますと、その水はおいしいぶどう酒になっていて新郎新婦の宴が続けられました。けれども、最初はマリアに、あなたとわたしはどんな関わりがあるのか、と突き放すようにおっしゃったのです。
 今日の箇所もそうです。イエスさまが外に出て行って、お話ししてもよさそうに思うのですが、そうなさらず、弟子たちを指して、「ここにわたしの母、兄弟がいる」とおっしゃいました。冷たいようですが、イエスさまはご自分が神さまから委ねられた使命を行っていることをなんとか家族の人にも分かって欲しい、そうした願いからではないでしょうか。

 それでは、このように自分は正しいと思ってイエスさまを受け入れようとしない人々、自分はあのイエスの家族だと主張し自分のところにイエスさまを引き寄せようとする人々は裁かれるだけなのでしょうか。
 イエスさまはここで、「天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹また母なのである」とおっしゃっています。
 山上の説教でイエスさまは、「主よ、主よ、という者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」とおっしゃいました。けれども、18章では、イエスさまは「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」とおっしゃり、さらに、十字架を前にして、ゲッセマネで「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と祈られました。神さまの御心は小さい者が一人も滅びないことです。そのためにイエスさまは十字架の道を歩まれたのです。
 イエスさまは十字架への道を決断されたあと、ヨハネ福音書では、「もはや、わたしはあなたを僕とは呼ばない。・・・わたしはあなたがたを友と呼ぶ」、そしてイエスさまが十字架の死を遂げ、よみがえられた後、ヘブライ人への手紙には、「イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない」と書き記されています。彼らを兄弟と呼び続けるために十字架の道を歩まれたのです。
 小さい者には、ファリサイ派の人々も律法学者たちも、イエスさまの母マリアも兄弟たちも含まれており、実際に、イエスさまが十字架の死を遂げられたあと、母マリアもイエスさまの兄弟たちも教会の一員となっています。

 わたしが神学校に在学したのはもう50年も前ですが、同級生20数人の三分の一位の人たちは神学校に行くということを、親から反対されたり、勘当された人たちでした。そのためその人たちは毎日のようにアルバイトに行っていました。けれども神学校に行くことを親から反対されたからといって、親から勘当されたからと言って、彼らの方は親との関係を断ち切らず親たちのため祈り続け、卒業の頃にはほとんどが親の理解を得るまでになっていました。

 最初に詩編133を読んで頂きました。短いですが、とても美しい詩です。

 「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り 衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り
 ヘルモンにおく露のように シオンの山々に滴り落ちる。
 シオンで、主は布告された 祝福と、とこしえの命を。」


 志し、祈り、信仰を同じくする者が、共に座すこと、共に学ぶことは何と言う恵みか、なんと楽しいことか、と詩人は歌うのです。
 わたしが一般の大学で学んでいたとき、聖書研究会の先輩の村岡崇光さんという方に、他の大学の聖書研究会のメンバーとともに課外でギリシャ語を教えてもらいました。その村岡さんは、日本の大学を卒業したあと、ヘブライ大学に留学し、その大学で学位をとり、イギリスのマンチェスター大学、メルボルン大学やオランダのライデン大学で教えておられました。聖書言語学の世界的な学者の一人です。定年退職後、日本の国は、70年前に終結したあの戦争で大きな苦しみを与えたアジアの国々に心からのお詫びしていないということに心を痛めていた村岡さんは、一年の十分の一の時間を、戦争で苦しみを与えた国々の人々へのお詫びに用いようと決断し、毎年、5週間から7週間、ボランティアでアジアの国々の神学校で、ヘブライ語や旧約聖書を教えています。今日まで、中国、韓国、フィリピン、シンガポール、台湾、ボルネオ、香港と10年近く続けています。
 村岡さんは一ヶ月余の講義のあと、その地の神学生の方々と必ず詩編133をヘブライ語で歌うというのです。そのときの村岡さんの思いは、日本人である自分を兄弟として迎えてくれたアジアの人々への感謝の思いからだというのです。

   今日の箇所に登場するファリサイ派の人々や律法学者たち、そしてイエスさまの家族も、イエスさまがほかならず自分たちのために十字架の道を歩み、自分たちを兄弟と呼んでくださったことを心から感謝することができた時、神さまを信じ、教会の一員となったのです。
 わたしたち一人一人をも、イエスさまは兄弟と呼ぶことを恥とされないのです。この福音をわたしたちも心からの思いをもって証ししたいと願うものです。

          

(2015年 10月 11日 神学校日礼拝説教)