2015.9.13

「終わりなき平和」

イザヤ書9:1〜6  ペトロの手紙 一 3:10〜12

櫻井重宣

 
 本日は、平和聖日です。被爆70年、敗戦70年目の平和聖日ということで、緊張した思いで、今日の日を迎えました。
 今、旧約の預言者イザヤの言葉に耳を傾けました。預言者イザヤが活躍したのは今から2700年前、すなわちイエスさまがお生まれになる700年以上前です。どういう時代かと申しますと、戦いが繰り広げられ、国が滅ぼされるのではないか、そうした危機に直面していた時代でした。
 お読み頂いた箇所の少し前、8章21〜23節にはこう記されていました。
 「この地で、彼らは苦しみ、飢えてさまよう。民は飢えて憤り、顔を天に向けて王と神を呪う。地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放。今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。」
 当時、ユダヤの国は、北王国イスラエルと南王国ユダに分かれていたのですが、これは北王国がアッシリアの軍隊に侵略された時のことです。北王国に位置するガリラヤは農村地帯で、住民のほとんどが農民で、武器もなく抵抗する力はありませんでした。戦争のため受けたダメージがあまりにも大きく、多くの人々が犠牲となり、国土が荒れ果ててしまったので、戦争を始めた王さまだけでなく、神さまをも呪わずにいられないほど人々は苦悩のただ中にいたことが分かります。
 このように、アッシリアという大きな国に蹂躙され、闇の真っただ中にいるガリラヤの人々にイザヤは9章の1節でこう語ります。
 「闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」、と。
 闇の中を歩まざるをえない人々が大いなる光を見、死の陰の地に住む人々の上に光が輝いたというのです。その喜びがどういう喜びかというと、2節にあるように、刈り入れの時を祝う喜び、戦利品を分け合って楽しむ喜びだというのです。詩編に、「涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈りいれる」と歌われている詩があります。収穫は天候に左右されますが、それだけではありません。戦争が始まれば畑が戦場になります。ですから、種を蒔いたものが収穫の時を迎えるというのは大きな喜びです。また、思いがけない勝利のため、戦利品を分け合って楽しむような喜びだというのです。いずれにしろ思いがけない喜びです。 
 さらに3節と4節でイザヤはこう語ります。
 「彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を あなたはミディアンの日のように 折ってくださった。地を踏み鳴らした兵士の靴 血にまみれた軍服はことごとく 火に投げ込まれ、焼き尽くされた。」
 かつて、ギデオンという指導者が、力が弱く、数少ないイスラエルを率いて、ミディアン人を打ち破ったという出来事がありましたが、今、アッシリアという強い国が攻めてきているが、同じようなことが起ころうとしている。すなわち侵略者の武器、兵士の靴、血にまみれた軍服は火に投げ込まれ、焼き尽くされるというのです。

   イザヤは、歴史の分かれ目のような時が来る。それは、ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれるからだ、と言うのです。そして、新しい王として生まれる何の力もないみどりごに「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」という四つの名があるというのです。驚くべき指導者というのは、人間の知恵をはるかに超えた不思議な計画をたてる指導者です。力ある神、永遠の父、平和の君とありますので、人間の思いをはるかに超えたかたちで平和をつくり出す、そういう王さまです。ですから、6節には「平和は絶えることがない」とありますように、そのみどりごが王位につくと、平和は終わらない、平和は永遠に続くというのです。
 6節を見ますと、ダビデの王座とその王国、とあります。今までとは違い、戦争に強い王さまではなく、武力で制圧する王さまではなく、正義と恵みの業によって 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる、そういう国です。万軍の主の熱意がこれを成し遂げられるというのです。

  イザヤは2章でも有名な預言をしていました。
 「彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」と。
 わたしたちの国も70年前、国土が廃墟となった中で、戦争を放棄し、一切の武力を用いないことを決断したのですが、イザヤも廃墟となったただ中でこうした幻を示されているのです。こうしたことは神さまの熱意からだ、というのです。
 700年後、イエスさまが貧しく、小さくお生まれになったとき、この預言が実現したことを福音書記者は語ります。

 今から20年前、わたしは広島教会に赴任しました。赴任して一ヶ月位たったとき、教会員のお一人の方の埋骨式を依頼されました。その方は25年近くお自宅で奥さまの看病を受け、寝たきりの生活をしておられましたが、わたしの赴任する前の年の秋に亡くなった方でした。埋骨式に先立って、奥さまをお訪ねし、御主人のことを伺いました。
 その方は、それこそ今から70年前の8月6日午前8時15分、通勤の途中、市内電車に乗り、まもなく小網町というところに来たとき、電車は突然停車し、電車の中は猛烈な熱さと爆風で、外に飛び出しました。小網町は爆心地に近く、距離でいえば1キロ位です。その日は電車が込んで、いつもより一台遅い電車に乗ったそうですが、予定通り電車に乗っていればほぼ全員が亡くなっていますので、その方も命がなかったものと思われます。職場の方も数多く亡くなりました。その方は、家族が山口に疎開していたので、毎日会社の方を探したり、本社との連絡をしておられたそうです。
 その方は、奇跡的に助かり、その後元気な歩みをしておられたのですが、1969年に発病され、半身不随になり、25年もの間、ご自宅で寝たきりの生活を余儀なくされました。倒れてから、お二人は毎日祈りの時をもち、とくに奥さまは「神さま、主人をもう一度立たせてください」と必死に祈り続けたそうですが、一年位したとき、病床のご主人は奥さまに「もう一度立たせてください」という祈りは止めにして主の祈りを祈ろう、とおっしゃったそうです。そして二人で主の祈りを祈るようにしたのですが、奥さまはもっと切実な祈りをしたくて、「お父さん、主の祈りで一番心に響くのはどこですか」と尋ねますと、御主人は「みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ」、だと答えました。奥さんはそのときハッと気づいて申し訳なく思ったそうです。あの日、1945年8月6日、悲惨極まりない町の様子を見た御主人は、自分の病気が治るかどうかより、地に平和を、御心が地になることを、真剣に祈ろうとされたのです。お二人は20数年、御心が天になるごとく地にもならせたまえ、と祈り続けたのです。
 この方が病気で寝たきりになったのは、原爆が投下されて25年目です。この方はあの日何があったかをほとんど口にすることはなかったそうです。毎日毎日会社の方やその家族を探し歩き、会社の再建に力を尽くされたので、あの日の悲惨さは一番知っているにもかかわらず、あの日のことを口に出すことはありませんでした。 
 この方は、会社の方で原爆のため亡くなった方、百数十名の合同慰霊碑を設計しました。奥さんが、先生見てください。十字架の形になっています。あの悲惨な状況をイエスさまが心を痛めつつ負い続けてくださった、その方がいつの日かこの地に、天におけるように御心をなしてくださる、というのが、その方の信仰でした。 

 イザヤもそうです。廃墟のただ中で、神さまが、ひとりのみどりごをこの世界に贈り、この世界に光を上らせてくださる、終わりなき平和を与えてくださる、その日を望み見たのです。

 戦争が終結して一カ月後、9月から翌年の春まで、アメリカの占領軍のカメラマンとして来日し、広島、長崎をはじめ空爆によって大きな被害を受けた日本の都市の状況を記録したジョー・オダネルという人がいました。彼は、その後、ホワイトハウスのカメラマンとして、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソンの五代の大統領に仕えました。オダネルさんは、戦争で壊滅的な被害を受けた都市を撮影した公式の写真はもちろん軍に差し出したのですが、私用のカメラでも数多くの写真を撮りました。けれども、あまりにも悲惨な写真なので、心痛み、撮った写真をすべてトランクにしまいこんでしまいました。退職したあと、1989年の反核運動に心を動かされたオダネルさん、40数年ぶりにトランクを開け、アメリカで原爆写真展を開催したところ、原爆を正当化している多くの人々から非難を受けました。そうした時、日本で長年伝道しているラ―マズ宣教師ご夫妻と出会い、当時盛岡で伝道していたラ―マズ先生ご夫妻の尽力により盛岡で写真展を開催しました。わたしは盛岡で写真展を見たとき、秋田でも是非、とオダネルさんに願い、開催することができました。それだけではなく、教会で講演会を行いました。
 オダネルさんが撮った長崎の火葬場で、2歳位の死んだ弟をおんぶして火葬の順番を直立不動の姿勢で待っている12歳位の少年の写真については紹介したことがありますが、今日お話ししたいのは、広島、長崎で被爆後撮った何枚かの写真です。廃墟のなかで、あたりは一面焼け野原なのに、壊れた教会だけが建っているのです。広島は広島流川教会、長崎は浦上天主堂です。オダネルさんはその光景を見たとき、ゴルゴタの丘で十字架に架けられたキリストを思い起こしたというのです。人間の罪によって作られた爆弾で街全体が焦土と化してしまいました。しかし、キリストは、その人間の罪をご自分の体で負い、自らも傷だらけになっています。そのキリストがこの世界を支えておられる、そのことを思わされたというのです。

   救い主は廃墟のまっただ中にお生まれになる、救い主は栄光の道を歩まれるのではなく苦難の道を歩まれる、その救い主によってもたらされる平和は終わりがない、いつまでも続く、それがイザヤの語ることです。
 イエスさまによって作りだされた終わりなき平和を願い、これを追い求め続けたいと願うものです。  

 祈りに引き続き、皆さんとご一緒に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を告白します。戦時下、わたしたちの日本基督教団は、強い国を求め、戦争に加担してしまいました。戦時下の教会の弱さは、わたしたちの弱さでもあります。
 みどりごによって与えられる平和、終わりなき平和をと祈りましょう。

(2015年 8月 2日 平和聖日礼拝説教)