2014.09.14

「真の断食」

イザヤ書58章3〜14節  マタイによる福音書6章16〜18節

櫻井重宣

 
 咋年からマタイによる福音書の学びを続けていますが、本日は6章16節〜18節のみ言葉に耳を傾けたいと願っています。
 実は、マタイによる福音書5章から7章には、イエスさまが弟子たちそして弟子たちを囲むようにして座っている病や苦しみを抱えた多くの群衆に山の上で語った説教が記されています。この説教は、昔から山上の垂訓、山上の説教と言われ、多くの人に親しまれています。わたしたちがこの説教を学ぶ中で、いつも教えられることは、この説教において、イエスさまは多くの苦しみをもつ人々を励まし、慰めておられることです。

  今、司会者に6章16節〜18節をお読み頂いたわけですが、6章の1節から今日の個所を含む18節までの表題にはこう記されています。1節〜4節は「施しをするときには」、6節〜15節は「祈るときには」、今日学ぶ16節〜18節は「断食するときには」です。そして、三つに共通しているのは、人からほめられようとして、人の前で行ってはならない、ということです。
 最初の「施しをするとき」には、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするようにではなく、人目につかないように施しなさいと、また、「祈るとき」には、偽善者が人に見てもらおうと、会堂や大通りの街角で祈りたがるが、奥まった自分の部屋で祈りなさいと、そして、「断食するとき」には偽善者のように沈んだ顔をしてはならない、偽善者は断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくするが、断食するときには、頭に油をつけ、顔を洗い、人に気づかれないようにしなさいと、記されています。
 偽善者は俳優という語です。イエスさまは、施し、祈り、断食は、俳優が上手に演技するようであってはならない、とおっしゃるのです。神さまがあなたにどれほど真剣に、心を込めて、全力で関わってくださっているか、そのことに感謝してなすのが施しであり、祈りであり、断食だというのです。そして、神さまは隠れたところにおられ、隠れたことを見ておられるから偽善者のように人にみてもらおうとして行ってはならない、とおっしゃるのです。

 イエスさまの時代、ファリサイ派の人々は週に二度断食し、そのことを誇っていました。ルカ福音書18章で、イエスさまがこういうことをおっしゃっています。
 二人の人が祈るために神殿に上った、一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人であった。ファリサイ派の人はこう祈ったというのです。「神さま、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています」、と。ところが徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら、「神さま、罪人のわたしを憐れんでください」、と祈りました。イエスさまは、週に二度断食していることを誇っていたファリサイ派の人ではなく、「罪人のわたしを憐れんでください」と祈った徴税人が義とされた。とおっしゃるのです。

   ところで、ファリサイ派の人は週に二度断食していることを誇っていますが、週に二度断食するようになったのは、モーセの時代に遡ると言われます。
 モーセがイスラエルの民を率いてエジプトを脱出して、荒れ野を旅し、シナイの荒れ野に到着したとき、モーセは祈るために山に上りました。そのとき神さまから十戒を与えられたのですが、山の下では大騒ぎになっていました、モーセが山に上って姿が見えなくなったとき、民は不安になり、目に見える神さま、手でさわれる神さまをアロンに求めました。アロンはそれならと言って人々に金の飾りを持ってくるように言いますと、人々は耳飾りや、首飾りなどを持ってきたので、それを溶かして金の子牛を造りました。イスラエルの民は目に見える神さま、手で触れる神さまができたと言って大騒ぎをしました。そのとき、モーセが山から下りてきたのです。その騒ぎに大きな衝撃を受けたモーセは、持ち帰った十戒が記された二枚の板を投げつけて砕き、さらに金の子牛を粉々にしました。そして、モーセはこう祈りました。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の子牛を造りました。どうか、この罪をお赦しください。どうしても赦していただけないのであれば、どうかこのわたしの名を神さまのノ―トから消し去ってください」と。自分が呪われてもかまわない、しかし、この民を赦してください、とモーセは祈ったのです。
 イスラエルの民は、こうしたモーセの祈りを心深く覚え、罪を悔い、モーセが山に上った木曜日と、山から下りてきた月曜日に断食するようになったのです。

 イスラエルの民は、今から二千六百年前、バビロンとの戦いで敗北し、多くの人々がバビロンに捕虜として連れて行かれるという大きな苦しみを経験しました。そして、いつしか敗戦記念日になりますと、エルサレムの廃墟に集まって礼拝が行われるようになりました。イスラエルの民は、敗戦記念日の礼拝で、自らの罪が、傲慢が戦争を引き起こしてしまったことを懺悔し、罪を告白し、そして断食しました。
 敗戦記念日の礼拝を60年、70年と続けてきたとき、なかなか自分たちの生活が落ち着かなかったからでしょうか、8月に学んだゼカリヤという預言者は、当時の人々は、いつまでエルサレムとユダの町々を憐れんでくださらないのですか。あなたの怒りは七十年も続いています、と訴える民の言葉を紹介しています。
 先程耳を傾けたイザヤ書58章も、預言者ゼカリヤと同じ時代の預言者です。
 その時代の人がこう言っていたというのです。
 「何故あなたはわたしたちの断食を顧みず、苦行しても認めてくださらなかったのか。」そうしますと、「見よ、お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし、神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような断食によっては お前たちの声が天で聞かれることはない。そのようなものがわたしの選ぶ断食 苦行の日であろうか」と。そして「わたしの選ぶ断食とは。虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え さまよう貧しい人を家に招き入れ 裸の人に会えば衣を着せかけ 同胞に助けを惜しまないこと」だ、と神さまはおっしゃっているというのです。

 預言者は、自分が赦された恵み、その重みに感謝して他者の苦しみに思いを寄せることを求めています。断食は、食を断って祈ることですので、おなかがすき、自らを律することにエネルギーを必要としますので、自分はここまで自分を律し、罪を悔い改めているということから、自分を誇ることになってしまいがちです。敗戦記念日を守り続ける旧約の民も、イエスさまの時代のファリサイ派の人々も自分の正しさ、熱心さが前面にでています。そのあげく、今日食べるパンにことかく人の苦しみに思いがいきません。

   イエスさまは断食ということでこういうことをおっしゃっています。
 マタイ17章に、てんかんでひどく苦しんでいる息子を持つ父親のことが記されています。病気の子どもを持つ父親が、イエスさまのところに息子を連れてきました。イエスさまは留守だったので、弟子たちに頼みました。弟子たちは治すことできませんでした。そうこうするうちに、イエスさま、戻ってこられました。父親はイエスさまに願い出ました。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
 そうしますと、イエスさまはその息子を苦しめている悪霊と全力で、一対一、で真剣勝負をされ、悪霊を追い出されました。けれども、弟子たちはその子どもがいやされたことを喜ぶのではなく、自分たちはどうしてどうして悪霊を追い出せなかったのかが関心事でした。そしてイエスさまのところにひそかにやってきて「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねたのです。
 イエスさまは弟子たちに、あなたがたはその夜を徹してその病の子どものため祈ったか、断食してまでその苦しんでいる子どものために祈ったかを問われます。ここには自分の正しさを誇る、そうした余地はありません。
 あるいは使徒言行録を読み進みますと、アンティオキア教会が礼拝し断食していると、聖霊が「さあバルナバとサウルを伝道に派遣しなさい」と告げました。そうしますと、教会は断食して祈り、二人に聖霊の導きがゆたかにあるように祈って出発させました。断食しながら礼拝している教会に、バルナバとパウロを伝道に派遣しなさいと神さまから勧められ、アンティオキア教会はその神さまの勧めにアーメンと告白して、また断食して祈って二人を派遣するのです。このように、自分というより他者との関わりで断食するのです。

 さらにもう一つ、断食と言うことで心に留めたいことは、イエスさまが、ここで、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさいと勧めています。これは祭りの日のしぐさです。隠れたところで神さまはわたしたちのために祈っておられる、十字架の道を歩んでまで私たちの罪を赦してくださる、そうした神さまの恵みに、喜び感謝してするのが断食だ、だから、顔を見苦しくしなくてよい、顔を洗いなさい、とおっしゃるのです。断食は、自分の熱心さを示すものではない、赦された恵み、喜びを言い表わすものだというのです。
 先週もご紹介した初代の教会で一世紀末から二世紀に記された「十二使徒の教訓」ディダケ―を見ますと、洗礼式があるとき、洗礼を受ける人、洗礼を授ける牧師、また洗礼を受けようとする人のために祈ってきた人は断食しなさい、とあります。襟を正される思いです。

 戸次夏雄さんが召されて十日たちました。戸次夏雄さんが私たちの教会に転入したのは1950年です。翌年、私たちの教会は礼拝する場所を失いました。1951年5月、今礼拝しているこの土地が献げられ、この地に礼拝堂を建築することを決議しました。建築委員会の委員長は小平省三さんでした。1952年3月、役員会で建築計画が承認され、4月から松の切り倒しと伐根、整地がなされ、9月 に定礎式が行われました。そして、10月にブロック第一段の工事がなされ、いよいよという1953年3月に建築委員長の小平省三さんが逝去されました。大きな試練のただ中で建築委員長を引き受けたのが戸次さんでした。そして、礼拝を翌年の4月から新礼拝堂で行うことを目標として、コンクリート打ちこみ等を行い。1954年2月28日に棟上げを行い、4月18日の復活節礼拝を新会堂で行いました。工事を着工して2年、今から60年前です。戸次さんはその日の礼拝について、こう記しておられます。「新会堂で最初の礼拝を行った。ブロック壁の残響もあって讃美歌も一段と荘厳に響いた、感涙にむせびつつ歌った」、と。
 けれどもこの日の礼拝後の教会総会で木下牧師は進退伺いを提出し、戸次夏雄さんは建築委員長辞任を申し出ました。お二人とも、自分たちの熱心さ、願いのままに今後進んでいいのか、それを教会の皆さんに判断を求めたものと思われます。
 進退伺は献堂式後に判断することとし、建築委員長の辞任願いは全員が反対し、却下されました。それから10年、借入金の返済をすべて終えて、1964年11月1日献堂式を挙行したのです。
 戸次夏雄さんは『茅ヶ崎教会六十年史』こう記しておられます。
 「茅ヶ崎教会は主の御言葉の上に建てる教会である。作業に参加した者だけでなく、この教会に連なるすべての教会員が神から必要とされ、その分に応じて主にお仕えしたのであった。『エホバ家をたてたまふにあらずば、建つる者の勤労はむなしく・・』(詩127篇)。これからも主の栄光のために、主の備え給うた道を歩む者でありたい。」
 また、当時、戸次さんと共に会堂建築に励んだ方は、「わたしたちの念願は、この教会に百年後に、真に道を求めて来る一人の魂を迎えるために、この教会堂の役立たんことを願う」と、同じく『六十年史』に記しています。

   戸次さんそして当時10数年にわたってブロックを積み、会堂建築に従事した方々の信仰は、会堂建築のとき、すべての教会員が一人一人その分に応じて奉仕した、一人一人、神さまが自分のようなもののために愛する御子をお遣わしになり、イエスさまは十字架の死を遂げてまでわたしたちに命を与えてくださった、その神さまの大きな愛に感謝して会堂建築に従事した、これから100年の間に、真に道を求めて来る一人の魂を迎えるため、この礼拝堂が役に立てば本望だ、ただ御栄のあらわされんことを、ということでした。
 ここには、断食は自分の熱心さを誇ることではない、神さまのあふれるばかりの恵みに感謝してのふるまいだ、というイエスさまの勧めと共通するものがあります。
 この信仰を私たちも受け継いで参りたいと願っています。  

 

(2014年9月14日 主日礼拝説教)