2014.04.06

「共に歩まれる主」

申命記31:1〜8  マタイによる福音書14:22〜33

櫻井重宣

 
 本日は、今年度最初の日曜日です。今年度、わたしたちの教会は、主題を「共に歩まれる主」とし、聖句を今お読み頂いた申命記31章6節の「強く、また雄々しくあれ。・・・あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない」としました。この主題そして聖句に励まされながら、御一緒に主に従い、そして教会生活をと願っています。
 さて、エジプトを脱出後、約束の地カナンを目指してイスラエルの民を率いて荒れ野を40年間旅してきたモーセは、約束の地を前にして、神さまに促されピスガの山に登りました。そのとき、頂上から約束の地を望み見たのですが、神さまから、あなたは約束の地に入ることはできない、イスラエルの民を率いて約束の地に入るのはヨシュアだと言われました。そのことは申命記3章に記されていました。80歳のときから120歳まで、すなわち高齢になってから40年にわたってイスラエルの民を率いてきたモーセは、そのことを神さまから伝えられた時、人間的に無念な思いがあったのでしょうか、「どうかわたしにも約束の地に渡って行かせてください」と願い出ました。
 そのとき神さまはモーセに向かって、憤り、その祈りを聞こうとされずに「もうよい、この事を二度と口にしてはならない」とおっしゃいました。あまりにも厳しい言葉です。口語訳聖書ではこの神さまのモーセに対する言葉をこう訳していました。「おまえはもはや足りている。この事については、重ねてわたしに言ってはならない」と。
 パウロの祈りを思い起こします。パウロは伝道者として働きをなすに際して
 この病気がなければもっと大きな働きができるのにと思っていたその肉体のとげを神さまに取り去ってくださいと三度祈りました。三度祈ったということは、何度も何度も祈ったということです。その時神さまから言われたことは「わが恵み汝に足れり、わたしの力は弱いところにあらわれる」ということでした。神さまから「わがめぐみ、汝に足れり、わたしの力は弱いところにあらわれる」という神さまのパウロへの答えを聞いて、パウロが肉体のとげを新しい福音の光で受けとめました。モーセもそうです。ゴールに入るということ以上に約束の地を目指して旅を続けた、そのモーセの生涯に神さまは、恵みが十分あった、神さまの慈しみに包まれていたことを示されたのです。
 そして、ただ今お読み頂いた31章では、モーセが全イスラエルの前に進み出てこう語りました。2節から6節です。
 「わたしは今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。主が彼らをあなたたちに引き渡されるから、わたしが命じたすべての戒めに従って彼らに行いなさい。強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」
 モーセはイスラエルの民に向って、わたしはヨルダン川を渡っていくことができないが、神さま御自身がイスラエルの民に先立って、先頭にたってヨルダン川を渡ってくださる、いろいろな困難を神さま御自身が解決してくださる、だから、強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。神さまはあなたがたと共に歩まれる、あなたがたを見放すことも、見捨てられることもないと語ったのです。 

 モーセが全イスラエルにこのように語ったあと、モーセはヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で、全イスラエルに6節で語ったとおなじことを語ります。7節と8節です。
 「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われたこの土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」 
 わたしたちが先ず心に留めたいことは、モーセが「強く、また雄々しくあれ、恐れてはならない。主御自身があなたがたと共におられる」と語っているのは、最初に全イスラエルの民に対してです。そのあとに同じ言葉を全イスラエルの前でヨシュアに語るのですが、最初は全イスラエルに語っています。

 わたしたちの教会は、今年の2月の教会総会で二つの委員会を作ることを決定しました。先ず、中期計画検討委員会です。わたしたちの教会は本年創立87周年ですが、87年の歴史でやはり大きな出来事は、1951年4月、今から63年前ですが、礼拝堂を失いました。出エジプトという大きな決断をせざるをえませんでした。そして、何箇所かお借りしたところで礼拝を守り、まもなくこの土地を与えられ、会員総出で整地作業を行い、ブロックを積んで会堂建築を始め、1954年4月、60年前ですが棟上げが終って間もなく礼拝を行うようになりました。献堂式をおこなったのがそれから10年後、1964年11月1日です。今からちょうど50年前です。
 そしてこの礼拝堂で日曜日毎にまことの教会をと願い、礼拝を守り続けてきたのですが、この63年の間にこの教会を支えてきた方々が一人二人とみもとに召され、本当に少なくなりました。また、近い将来、牧師の交代という事態を避けることができません。私たちの教会は今、大きな曲がり角に立っています。そのため、わたしたちの教会がどういうことを大事にしてきた教会か、どういう教会を目指すのか、そのことを検討するために中期計画検討委員会を設置することにしたにです。
 もう一つは百年史編纂委員会です。本年は教会創立87周年、百周年まで13年ありますが、今、お尋ねしなければ聞くことができなくなってしまう方々がおられます。そこで、この委員会をスタートさせることにしました。
 そうした大事な時をわたしたちの教会は迎えているわけですが、いろいろな不安があり、おののきを覚えています。そうしたときに、先ず教会全体で耳を傾けたいと願ったのが、モーセが、自分は約束の地に入れないが、この40年間支えられてきたことはこの事だと言って、全イスラエルに語った言葉です。
 「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。うろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない」

 実は、この「強く、また雄々しくあれ」という言葉は、旧約聖書に11回記されます。いずれも指導者の交代の時期です。そして11回のうち8回は、「神が共におられる」ので、とあります。また、3節や8節では「主御自身が先立って」と語られます。神さまが共におられる、神さまが先立って歩まれる、それゆえ、強くあれ、雄々しくあれといわれるのです。指導者の交代のとき、神さまが共におられる、先立って歩まれる、そのことをイスラエルの民は確かめ続けてきたのです。 <p>  神さまが共におられる、というメッセージは聖書の中心的なメッセージです。預言者イザヤは、インマヌエル、神我等と共にいます、ということをくり返し語りましたが、モーセもくり返し神さまから示されています。モーセが80歳のとき、ミディアンの地で羊を飼っていました。そのとき、神さまから出エジプトという使命を与えられました。モーセは、燃える柴の中から、「モーセよ、モーセよ」、と神さまから声をかけられました。神さまは、そのときモーセに「わたしは、エジプトにいるわたしの苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえにわたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出す」、とおっしゃいました。
 神さまは高い所から見ている神ではなく、イスラエルの民の苦しみをつぶさに見、助けてくださいと彼らが叫ぶ声を聞き、彼らの痛みを知って、降ってくる神さまだ、どこまでも探し求める神であることをモーセは示されました。
 また、出エジプトという使命を与えようとされる神さまにモーセが「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、イスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか」と言ったとき、神さまは「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしでる」とおっしゃいました。さらにモーセは、イスラエルの人々が、そういう使命をあなたに与える神さまの名は一体何かと問われたとき、何と答えたらいいかとお尋ねしますと「わたしはある、わたしはあるというものだ」と神さまがおっしゃいました。この言葉は、神さまはどういう方かを語っています。神さまは どんなときにも一緒にいてくださる、苦しいとき、天からくだって苦しみを共にしてくださる、苦しんでいる人をひとりぼっちにしない方だ、そのことをモーセは示されたのです。そして40年間、荒れ野を旅し続けました。
 千数百年後、神さまはひとり子イエスさまをくださり、そのイエスさまは十字架の死を遂げてまで弱さのあるわたしたち、罪あるわたしたちと一緒にいてくださいました。そのことが、神がわたしたちと共におられるということです。
 最初に読んで頂いたマタイによる福音書では、ガリラヤ湖で嵐に直面し、右往左往している弟子たちに、イエスさまは、わたしはここにいる、安心しなさいとおっしゃっています。さらにペトロがおぼれそうになったとき、すぐ手を伸ばして助け出してくださいました。

 モーセは、モーセからヨシュアに交代するということで不安を覚え、おののいているイスラエルの民に、神さまはどんなときにも共におられるので、大丈夫だ、強く、雄々しくあれと励ますのです。そして同じことを、モーセの後継者ヨシュアにも語るのです。
 「強く、また雄々しくあれ 恐れてはならない あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる、あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」
 この言葉は、イスラエルの民が、そして二千年の教会の歴史において、途方に暮れていたとき、不安を覚えていたとき、先行きが見えないとき、励まされた言葉です。 
  わたしたちもこの一年間、この言葉に励まされ、力づけられながら歩んで行きましょう。  

(2014年4月6日 主日礼拝説教)