2014.01.19

「地の塩、世の光」

ミカ書6:6〜8  マタイによる福音書5:13〜16

櫻井重宣

 
 先週から学び始めた山上の説教の聞き手は、弟子たちだけではなく、いろいろな病気や苦しみに悩む人です。4章の後半に記されているようにありとあらゆる苦しみ、病、悲しみを持ち、慰めを、癒しを求めて多くの人々がイエスさまに従ってきました。その人々をごらんになったイエスさまが山に登られ、腰を下ろされたとき、弟子たちが近寄ってきたので教えられた説教が山上の説教です。そして、この説教のしめくくりのところに「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた」と記されていますので、弟子たちだけでなく、群衆も耳を傾けていたことが分かります。
 イエスさまを真ん中に、そのイエスさまを取り囲むように弟子たちが、その弟子たちを取り囲むようにして多くの苦しみの渦中にある人が、耳を傾けています。イエスさまの身近なところで耳を傾けている弟子たちは、多くの苦しみを持つ人々に関わろうとするのですが、無力さを覚えています。イエスさまの助け、慰め、励ましを必要としている人々にお話しされたのがこの山上の説教なのです。
  今の時代も病んでいます。慰めを必要としている時代です。わたしたち一人一人もそうです。そういうものとしてこの説教に耳を傾けたいと願っています。 

 先週学んだ5章3〜10節に八つの祝福の言葉が記されていました。八つとも、冒頭でイエスさまが、幸いなるかな、とおっしゃっています。貧しい人、悲しむ人、踏みつけられてもじっとがまんしている人々に、イエスさまは幸いなるかな、と宣言しておられます。イエスさまは、御自分が安全なところに位置して、幸いなるかなと宣言しておられるのではありません。苦しんでいる人、悲しんでいる人の苦しみの底、悲しみの底に位置して、その人々に幸いなるかなと宣言されておられるのです。貧しい者の道、悲しむ者の道を歩まれ、その人々に幸いを宣言されたイエスさまは、十字架の道を歩まれたのです。

 今日の個所、5章13〜16節は短い個所ですので、もう一度読んでみましょう。
 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
 イエスさまはここで二つのことを宣言しておられます。一つは、「あなたがたは地の塩である」、もう一つは「あなたがたは世の光である」、です。
 病気やいろいろなことで苦しんでいる人々に向かって、あなたがたは地の塩である、世の光である、とおっしゃっています。あなたがたは、地の塩、世の光となれ、とか、地の塩、世の光にならねばならない、というのではありません。あなたがたは地の塩、世の光だ、とおっしゃっているのです。そして、イエスさまのお話しに耳を傾けている私たちにも、あなたがたは地の塩である、世の光である、とおっしゃっているのです。

   カール・バルトという神学者、牧師がこういうことを語っています。
 「世界はイエスさまが見たもうたままの姿であるということ、それが福音にほかならない。わたしたちはそのようなイエスさまの目に映った自分の姿を、真実の自分の姿として受け入れよう。わたしたち自身や人々の目に映った自分の姿よりも、百倍、千倍も真実の自分の姿として受け入れよう、それが信仰というものである。」
  たとえば、イエスさまがわたしたちをごらんになるとき、「疲れた者、重荷を負う者」としてごらんになり、招いておられるのです。それが福音にほかならないというのです。そのようにイエスさまがわたしたちをごらんになっているのに、わたしたちは疲れていない、重荷をもっていないと言ったりするのですが、イエスさまが重荷を負うて疲れているものとごらんになり招いている、それが真実の自分の姿なのだ、それを受け入れよう、というのです。
  ここもそうです。イエスさまは、「あなたがたは地の塩である」、「あなたがたは世の光である」とおっしゃっています。

 わたしが学生時代に、本を通してですが、大きな励ましを与えられた先生の一人に糸賀一雄先生がおられます。滋賀県で障害のある子どもたちが過ごす「近江学園」を創設した方です。亡くなって45年になります。糸賀先生のことで最も印象深く思い起こすのは、重い障害のある子どもさんのことで、糸賀先生が繰り返しこういうことをおっしゃいました。
 世の中の人々は、障害を持つこどもさんがかわいそうだ、この子たちに世の光を、というがそうではない、この子たちを世の光に、だ。この子たちが世の光である、そういう世の中にしよう、というのです。この子たちのことを考えてください、光を注いでくださいではない、この子たちを世の光に、それが糸賀先生のおっしゃったことです。
  この糸賀先生の言葉は大きな励ましとなりました。糸賀先生はキリスト者です。今日のこの個所がもとになっています。糸賀先生は、1968年に54歳で突然亡くなったのですが、亡くなったのは講演中でした。最後の言葉が、この子たちに世の光をではなく、この子たちを世の光に、でした。

 イエスさまは、いろいろな弱さ、苦しみ、悲しみ、病のあるわたしたちを地の塩、世の光だとおっしゃっています。そのように見ておられます。イエスさまは、あなたがたは地の塩だとおっしゃったことに続いて、「だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられるだけである」、と。あなたがたは世の光だとおっしゃったことに続けて、「山の上にある町は隠れることができない。ともし火をともして升の下に置く者はない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである」、と。
 パレスティナ地方の塩は岩塩です。不純物が多く含まれています。空気中の湿気によってすぐに溶け、不純物が多いと塩として使用できずに、外に捨てられてしまいます。あなたがたは、湿気があったりすれば、すぐ溶けてしまい、役に立たなくなるような塩かもしれない。しかし、弱くても、小さくても地にとってなくてはならない存在だ、と。また、腐るのを防ぐのに、塩は用いられる、そうしたあなたがたは、そうした役割を果たしているというのです
 パレスティナの普通の家屋は、部屋が一つ、一間です。升で覆いかぶせることができる小さな光でも、その光を燭台の上に置くと、部屋全体を明るくすることができます。イエスさまはわたしたちの弱さ、小ささをごぞんじです。
 地の塩の「地」、世の光の「世」は、塩や光が埋没してしまいそうな圧倒的な力を持っています。貧しいものたちを踏みつぶしてしまいそうな力を持つ地や世の中で、イエスさまは説教に耳を傾けている人々に、あなたがたは地の塩である、世の光である、と宣言しておられるのです。大切なのは、小さなもの、弱き者を地の塩、世の光とおっしゃるイエスさまです。

   わたしの今日までの牧師としての歩みにおいて、いつも心深い思いにさせられる先輩の牧師の一人に長沢巌という牧師がいます。長沢先生はお母さんがクリスチャンで、みぎわさんという一歳上のお姉さんがおられました。みぎわさんは知的障害をお持ちでした。神学校を卒業されたあと、静岡の遠州教会の副牧師をされました。お母さんとみぎわさんと一緒に赴任しました。障害のあるお姉さんを抱えておられるので、主任の牧師としてなかなか赴任先が決まらなかったのですが、1958年静岡の榛原教会に赴任しました。当時の榛原教会は自立が困難な教会で、三年間、援助を受けました。
 10年後、教会が自立すると、長沢先生は、障害のある家族を抱える親の会のメンバーと共に、1970年に、知的障害を持つ子どもさんたちの「やまばと学園」を創設しました。さらに1973年には成人寮を、1981年には「特別養護老人ホーム・聖ルカホーム」を創設しました。教会には、副牧師を迎え、長沢先生はやまばと学園の近くにお住まいになりました。
 長沢先生と共に歩んでこられたみぎわさんが1982年3月に56歳で亡くなりました。みぎわさんの常用語は「うれしい」、「楽しい」、「きれい」、「おいしい」でした。長沢先生 お姉さんが亡くなったとき、お姉さんからもっともっと愛について学びたかった、お姉さんに対してできなかったことをもっと他の人々に果たしたい、と願ったのです。お姉さんはまさに、地の塩、世の光でした。
 お姉さんを神さまのもとに送った翌年、長沢先生は髄膜腫の手術を受けました。95パーセント心配ないと言われた手術でしたが、手術後、予期せぬことが起こり、長沢先生は、四肢障害、視覚障害、意識障害という重度の心身障害者になりました。障害をもつ方々を世の光にとおっしゃっていた長沢先生御自身が、重度の障害者となり、すべてのことにおいて介護が必要になってしまったのです。長沢先生は、発病後、23年 世の光として存在されました。
 イエスさまは心の貧しい人々は幸いだ、悲しんでいる人々は幸いだ、とおっしゃり、御自分がその人々に光を、慰めを差し出しました。わたしたち一人一人を地の塩、世の光であると宣言されたイエスさまは、わたしたちを地の塩、世の光にするために十字架の道を歩まれました。 
 長沢先生のご生涯の前半56年間は、お姉さんが世の光だ、そのことを御自分の働きを通して証しされました。お姉さんが召された後、こんどは御自分が重い障害者になり、話すこともできず、寝たきりになり、23年間世の光として存在し続けられたのです。

 わたしたちの教会の最高齢の八木徹さんが先週の火曜日に召され、金曜日に葬儀が行われました。わたしは牧師として、葬儀を司るとき、召された人を神さまは地の塩である、世の光である、そういう人として位置付けておられるので、この世の業績を数え上げることではなく、神さまがその人を通して輝かしておられることに耳を傾けたいと願います。そして、そのことが悲しみを覚えている人に慰めを差し出すことができるのではないか、と思います。
 八木徹さんは80歳のときこの教会で洗礼をお受けになりました。それから毎週、前から2番目の中央の席で、背筋をピンとして礼拝を守っておられました。八木徹さんは、洗礼を受けるとき、葬儀を教会で、と願いました。神さまが自分をどのように見ておられるか、それを証ししたいということであったのではないでしょうか。
 八木さん わずか一週間の入院でした。その入院中、ご子息に「聖書のむずかしいことは分からないが、イエスさまはどんな時にも一緒におられる、そのことは信じている」、とおっしゃいました。この言葉は、97年の人生を歩まれた八木徹さんからの私たちへのプレゼントです。
 小説家の椎名麟三さんは、復活の主にたどりつくまでという文を人生の最後にお書きになりました。八木徹さんは、インマヌエル、神が共にいます、その信仰にたどりつき、この地上の生涯を終えられたのです。
 八木徹さんの信仰を大切に受け継ぎたいと願うものです。  

(2014年1月19日 主日礼拝説教)