2013.07.14

「悲しみの声に耳を傾けよ」

ミカ書1:1〜9  コリントの信徒への手紙二4:7〜15

櫻井重宣

 
 茅ヶ崎に参ります前、奉仕させて頂いた広島では、厳しい暑さの季節になり、8月が近づきますと、ピーンと張りつめたような、緊張した空気が街全体に感じられます。8月6日が近づくからです。そうした緊張した雰囲気の中で、教会では、毎年夏の礼拝で、預言者の一人を取り上げ、地に平和をと祈ることを大切にしてきました。
 茅ヶ崎教会に赴任してからも、夏の礼拝で、イザヤ書、哀歌、エゼキエル書、アモス書、エレミヤ書、そしてある年はヨハネの黙示録に耳を傾けました。今年は預言者ミカに耳を傾けたいと願っております。
 私たちとって、預言者のミカはなじみの薄い預言者ですが、イエス様がお生まれになった時、東の方から占星術の学者、クリスマスの劇で言うなら、三人の博士がやってきて、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言ったとき、不安を覚えたヘロデ王が、祭司長や律法学者たちを集めて、メシヤはどこに生まれることになっているか、と問いただしました。彼らは聖書を調べて、ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
 「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決して一番小さいものではない。お前から指導者が現れわたしの民イスラエルの牧者となるからである」、と。
 ヘロデから、ベツレヘムだと教えられた占星術の学者たちは、ベツレヘムに行って幼児イエスさまにお会いできました。私たちがよく知っているこのクリスマスの物語で、ベツレヘムからメシアが現れると予言していたのがミカです。
 また、ミカは「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」、とすべての武器を放棄し、戦争をしない世界を望み見ています。
 また、エレミヤはミカよりおよそ百年後の人ですが、エレミヤが殺されそうになったことがあります。そのとき、長老たち数人が立ち上がって、こう言いました。いまこうしてエレミヤを殺そうとしているが、実は預言者ミカが、今、エレミヤが予言したと同じことを予言した、そうしたところ、ユダの王とすべての人々は悔い改めたので、神様はユダに告げた災いを思い直された、だからエレミヤを死刑にしてはならないと言って、エレミヤは死刑にされませんでした。

 救い主は、大きな町エルサレムからではなく、小さな村ベツレヘムから現れる、戦争が繰り返された世界で、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」と、預言したミカ。また、ミカの予言は百年経っても人々の心に印象付けられていて、エレミヤの命を救いました。こうした預言者ミカの予言に思いを深め、地に平和をと祈る夏にしたいと願っています。

 今年の夏ミカを学びたいと思いましたのは、矢内原忠雄先生が1941年、昭和16年8月24日と25日、山中湖畔で行われた聖書講習会で二日間、ミカ書の講義を行っています。太平洋戦争が始まる直前です。また、1942年11月22日、御茶ノ水で行った公開聖書講義でミカ書を講義しています。国全体が戦争に向かってまっしぐらに進んでいる緊迫した時代、そして戦争が始まって一年後、矢内原先生はミカ書に耳を傾けています。
 矢内原先生がミカ書を取り上げるきっかけはこういうことがあったからです。ある有名な大学の重要な地位にいた教授、その方は国家主義の持ち主であることを誇り、立派な模範的な教育者であると認められていた人でしたが、収賄罪で逮捕されてしまいました。
 国全体が緊張していなければならないといっている指導者がこうした過ちを犯してしまう、矢内原先生は、そこで戦争の持つ罪悪性を見て取って、ミカに学ぼうと仰っているのです。
 そして、「誠実」、「堅実」を語ります。パウロがイエス様に出会って、四方から苦しめられても行き詰らない、途方に暮れても失望しない、そういう堅実さを持ってほしいと力説されました。
 今日の時代、政治家の多くは国全体が豊かになる、強くなることを声だかに語りますが、苦しんでいる人の苦しみに関心を寄せる政治家が少ないことを思わされます。矢内原先生の思いを受けとめ、ミカ書を学びたいと思います。
 冒頭の1章1節をもう一度読んでみましょう。
 ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェトの人ミカに臨んだ主の言葉。それは彼がサマリアとエルサレムについて幻に見たものである。」
 ここにユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代とあります。ミカが活躍した時代の王さまの名前です。ミカはイザヤとほぼ同じ時代に生きた預言者です。紀元前730年代〜690年代、およそ40年位活躍したものと思われます。イザヤは、「アモツの子イザヤ}とお父さんの名前が記されていますが、ミカ はモレシェトの人ミカとあります。モレシェトは地名です。エルサレムの南西30キロ位の所にある小さな村です。お父さんの名前が記されないというのは、名もない家庭の出身だと言うことです。そうしたミカがサマリアとエルサレムについて見た幻、それがミカ書です。
 2節から4節にはこう記されています。
 「諸国の民よ、皆聞け。大地とそれを満たすもの、耳を傾けよ。
 主なる神はお前たちに対する証人となられる。
 主は、その聖なる神殿から来られる。
 見よ、主はその住まいを出て、降り、地の聖なる高台を踏まれる。
 山々はその足もとに溶け、平地は裂ける。
 火の前の蝋のように 斜面を流れ下る水のように。」

 神様が裁くために天から地に降って来られるというのです。神さまは何を裁こうとしておられるか、といいますと、5節〜7節に記されているように、偶像崇拝です。神でないものを神とすることです。ミカがここで言うには、偶像は、淫行による報酬、遊女の報酬をピンハネして作ったものだ、だから遊女の報酬に戻されるというのです。弱い立場にある女性が踏みつけれれていることをミカは語ります。
 ミカが、神を神とすることと、一人の人が一人の人と尊厳な関りをすることが切り離し得ない、と語っていることに私たちは襟をただされる思いです。
 そして、神を神としない、一人の人に尊厳な関りをしないことが典型的なのは、「戦争」です。12節には、戦車、早馬に言及します。

 マルティン・ニーメラーというヒットラーに抵抗した牧師がいました。ニーメラー牧師は海軍の士官で、第一次世界大戦のとき、潜水艦の艦長でした。けれども沈みゆく敵の潜水艦の兵士たちを見て、突然、戦争への疑問が起り、人間の罪を思わされ、戦後、神学校に行き、牧師になりました。そして、戦争を遂行するヒットラーに警告を発し、獄に入れられたのです。

 農村に生きたミカも「戦争」がいかに大きな罪であるかを知らされた人です。2章3節には「彼らは貪欲に畑を奪い、家々を取り上げる。住人から家を、人々から嗣業を強奪する。」とあります。さらに、2章8節、9節には、「昨日までわが民であった者が、敵となって立ち上がる。平和の者から彼らは衣服を剥ぎ取る。戦いを避け、安らかに過ぎ行こうとする者から。彼らはわが民の女たちを楽しい家から追い出し、幼子たちから、わが誉れを永久に奪い去る」とあります。

 平和に暮らしている人から衣服を剥ぎ取る、戦争を避け、安らかに生きていこうとしている女の人や子どもたちは戦争になると、苦しむ。戦争は一人の人、一つの家庭の歩みを、人生をずたずたに引き裂く。しかも、戦争になると、力ある者、お金持ちがのさばり、小さな者、貧しいものが苦しむ。そのことを2700年前のミカが語ります。
 実は、ミカ書は1章〜7章までありますが、神様の裁きと憐み、慈しみ、赦しが繰り返されます。1〜2章、3〜5章、6〜7章の三つの大きな山があります。三つの山で、神の裁きと神の憐みが繰り返されます。
 実は、この最初の山、1〜2章で神様の赦し、憐みが語られるのは、2章12節と13節です。
 「ヤコブよ、わたしはお前たちすべてを集め、イスラエルの残りの者を呼び集める。わたしは彼らを羊のように囲いの中に、群れのように、牧場に導いて一つにする。彼らは人々と共に共にざわめく。打ち破る者が、彼らに先立って上ると、他の者も打ち破って 門を通り、外に出る。彼らの王が彼らに先立って進み、主がその先頭に立って立たれる。」
 戦争によってずたずたにされた人たちを、神様は羊飼いとして一人ひとりを抱き上げ、導いて牧場に連れ帰る。神さまが先頭に立って導くというのです。
 先日、88歳になられた尊敬する牧師がお便りをくださいました。その先生は、中学4年の時、戦争がはじまり、お国のためになりたいと願って軍隊の学校に入った。飛行機の訓練が終った時、8月15日を迎えた。生きる目標を失ってしまった。そうした私をイエス様が捕えてくださり、洗礼を受け、神学校に行った、と仰っていました。
 ところで、ミカがこうした慰めに満ちた言葉を語ることが出来るのは、神様の裁きと神の憐みの間にあって苦悩したからです。
 1章の8節と9節です。
 「このため、わたしは悲しみの声をあげ泣き叫び、裸、裸足で歩きまわり 山犬のように悲しみの声を上げ 駝鳥のように嘆く。まことに、痛手は癒しがたくユダにまで及び、わが民の門エルサレムに達する。」
 神様が、サマリアを、エルサレムを裁かれることを知らされたミカは悲しみの声をあげ、泣き叫び、裸、裸足で歩きまわったというのです。ミカが悲しみ、涙するのは、戦争が起こると小さな者、社会的立場の低い人に大きな苦しみが臨み、それを神様が心痛めるからです。
 いかがでしょうか、今の時代、私たちはどこまでフクシマの人々の苦しみを深い所で受けとめているでしょうか。

 ミカの悲しみの声をあげよ、泣き叫べという言葉に大きな影響を受けたのは、ミカより百数十年あとの哀歌の詩人です。敗戦記念日の礼拝で、昼も夜も、川のように涙を流せと語るだけでなく、休むことなく涙を流し続けよ、と言います。そうした詩人が「主の慈しみは決して絶えない。主の憐みは決して尽きない」と告白するのです。

 広島では、今でもそうですが、どこかの国が核実験をすると、原爆慰霊碑のところで座り込みます。人数は多くはありません。長い年月、座り込みの中心的なメンバーのお一人は森滝市郎先生でした。広島大学倫理学教授でした。ご高齢になってからも座り込みを続けられました。森滝先生は、1994年1月亡くなりましたが森滝先生の追悼の番組で大江健三郎さんがこういうことを言いました。
 「森滝先生たちが、慰霊碑の前で座り込み、核兵器廃絶を訴えていることに、世の中の人は関心を持たないが、遠い惑星から地球を見ると、座り込みをしているところに光が当たっているように思う。森滝先生の存在、行動はそういうものであったのではないか。」
 ミカの預言、存在もそうでした。ですから、矢内原先生は戦争にまっしぐらの時代に、ミカに耳を傾けようとしたのです。わたしたちも、今夏、ミカに耳を傾け、地に平和をと祈りましょう。


(2013年 7月 14日 主日礼拝説教)