2012. 8. 1

「正義を行い、真実を求めよ」

エレミヤ書5:1〜3  テモテへの手紙 二 2:8〜13

櫻井重宣

 
 本日、8月の第一日曜日は平和聖日として、全国の教会が地に平和をと祈りつつ礼拝をささげています。 
 今から50年前になりますが、広島、山口、島根の三つの県の教会が連なる西中国教区から教団総会に、1945年8月6日、原子爆弾が広島に投下され、投下後17年近くたってもなお多くの人々が苦しんでいる、再び核兵器が用いられることのないように全国にある教団の教会が心を一つにして祈ろうということで、8月第一日曜日を「平和聖日」と定めるという提案がなされ、その提案は総会議員の賛同を得て、1963年から8月第一日曜日が平和聖日として守られるようになりました。
 スイスの牧師、リュティの説教にわたしはいつも励まし、慰めを受けていますが、戦後間もない時期からリュティ牧師は毎週のように説教の前とか後にこう祈っています。「あなたは、すべての者の滅亡ではなく、なお多くの者らが救われることをお望みになっています、どうぞ、核戦争に追いやる一切のものを阻止してください。」リュティ牧師の祈りを思いおこすとき、私たち、日本の教会の礼拝で戦後どういう祈りをしてきたが問われる思いです。とりわけ、昨年の3月11日の大地震、大津波により福島で原子力発電所の事故が起こり、フクシマの人々に大きな苦しみを、悲しみを与えてしまったことに大きな責任を覚えます。それだけに本日、全国の教会の皆さんと御一緒に平和聖日礼拝を心からの思いをもってささげたいと願うものです。

 今日は8月5日です。原爆が投下された67年前も8月5日は日曜日でした。前任地の広島教会はその年の4月29日、広島市警防団本部に教会を接収され、礼拝堂で礼拝できなくなってしまいました。そのため、5月から牧師館の8畳間で礼拝するようになりました。戦争に召集されたり、疎開したり、またキリスト教は敵国の宗教とされた時代ゆえ、礼拝に出席する人は次第に少なくなり、8月5日の礼拝の出席者は4名でした。4名といっても、そのうちの二人は牧師夫婦です。原爆で広島教会の会員は33名亡くなっていますので、当時いかに礼拝出席が困難であったことが分かります。
 8月5日礼拝に出席した牧師夫婦以外のお二人のうちのお一人は翌6日出勤途中に被爆し、8日に亡くなりました。一昨日、その方の娘さんが久し振りにお手紙を下さいました。手紙の最後にこう記されていました。
 「今年も原爆の日が来ます。5日、平和聖日の礼拝に出席します。出席して67年前のあの日を思い出すと胸がつまります。8月6日が来るのが重苦しく、はやく過ぎて欲しいと思うことがあります。」
 この方のお母さんは、原爆投下の3カ月前、生まれてまもない長男を病気で亡くし、原爆で夫を亡くし、原爆投下7年目に中学に入学してまもない長女を病気で亡くしました。戦争が、原爆が次から次と家族を奪ったといって、2002年に亡くなるまで一度も平和記念公園に足を踏み入れることができませんでした。家族で一人残された、一昨日お便りをくださったその方は8月6日が近づくと気が重くなる、そういう苦しみを今なお負い続けておられます。
 ヒロシマ、ナガサキの方々に加え、今度はフクシマの方々にも同じような苦しみをこれから何十年も強いることになり、私たちの心は張り裂けてしまいそうになります。こうした苦しみを持ち続けておられるお一人お一人のことを祈りのうちに覚えつつ、御言葉に耳を傾けて参りたいと願っています。

   毎年8月の礼拝で旧約聖書の一つの書を選び、その書に耳を傾け、平和のために祈ることにしています。本年は預言者エレミヤに耳を傾けます。
 エレミヤという預言者は、紀元前626年、20歳頃と思われますが、預言者として立てられました。1章をみますと、神さまがエレミヤを預言者として立てようとされるのですが、自分は若者に過ぎない、語る言葉を知らないとお断りします。けれども神さまは「若者に過ぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて 必ず救い出す。---------あなたは腰に帯びを締め 立って語れ、わたしが命じることをすべて。彼らの前におののくな」とおっしゃって預言者としてお立てになりました。すなわち、エレミヤは、神さまがお命じになることをすべて、包み隠さず、語るよう命じられたのです。
 エレミヤは40年近く預言者として働きをなした人ですが、40年は長い年月です。とくにエレミヤが預言者として立てられたのは、マナセという王様が50年以上王位にあり、表面的には落ち着き、繁栄した時代でした。戦争のきざしすらみることができない時代でした。そして40年後はユダヤの国はバビロンとの戦いに敗れ、エルサレムは廃墟となり、多くの人々がバビロンに捕虜として連れて行かれました。まさに激動の40年でした。

   先程5章の冒頭を司会者に読んで頂きましたが、先立つ4章にこういうことが記されています。5節と6節です。
 「ユダに知らせよ、エルサレムに告げて言え。国中に角笛を吹き鳴らし、大声で叫べ。そして言え。『集まって、城砦に逃れよう。シオンに向かって旗を揚げよ。避難せよ、足を止めるな』と。わたしは北から災いを 大いなる破壊をもたらす。」
 若いエレミヤが表面的には繁栄しているように見えても、自分たちの国は危機に直面している、北からの災いを神さまがもたらそうとしておられる、自分たちの生き方を見直そう、悔い改めようと預言したので、人々から反発を買いました。ちょうど、ノァが神さまに命じられて箱舟を造り始めたとき物笑いの種になったように、エレミヤも人々から物笑いの種になりました。
 けれどもエレミヤは神さまの心を知れば知るほど、時代の危機を肌で、体全体で覚えるようになりました。
 4章の16節以下を見ますと、エレミヤは、自分のはらわたはもだえ、心臓は呻くというのです。けれども、北からの災いは幸か不幸かこの時は実現しませんでした。
 そして、先程お読み頂いた5章の冒頭のところでエレミヤは神さまからこう命じられます。
 「エルサレムの通りを巡り よく見て悟るがよい。広場を尋ねて見よ、ひとりでもいるか 正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう。」 
 エルサレムの通りという通りを一本一本巡り歩いて、そして広場を尋ねて見なさい。正義を行い、真実を求める者が一人でもいれば、エルサレムを赦す、と神さまはおっしゃるのです。 
 創世記に記されていますが、アブラハムは、神さまがソドムとゴモラを滅ぼそうとされたとき、神さまに談判します。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも神さま、あなたはあの町を滅ぼされるのですか、と。神さまは五十人いれば赦すとおっしゃいました。アブラハムは、正しい人50人を見いだす事ができなかったのでしょうか、自分は塵と灰に過ぎない者ですが、正しい人が50人から5人少ない45人でも滅ぼしますか、と。神さまは45人いれば滅ぼさない、とおっしゃいました。それでは40人では、40人でも滅ぼさない、30人ならいかがか、30人でも滅ぼさない、20人でも滅ぼさない、神さま、お怒りにならないでください、もう一度だけ言わせてください、10人しかいないかもしれません。神さまは10人でも滅ぼさない、とおっしゃいました。けれども、アブラハムは正しい10人の人を見いだすことができませんでした。
 アブラハムは10人でしたが、エレミヤは、正義を行い、真実を求める者が一人いればエルサレムを赦すというところからスタートします。けれども一本一本通りを巡り歩いても広場を尋ねてもみいだすことができません。どんなに足を棒のようにして歩き続けてもその一人をさがしだすことができません。 正義を行い、真実を求める者を一人も見いだすことができなかったエレミヤは、「主よ、御目は真実を求めておられるではありませんか」と、神さまに申し上げるのです。いうならば神さま御自身がこの町、この世界で真実な一人となり、この町を赦してください、と懇願するのです。

 このように、エレミヤのおよそ40年に及ぶ預言者としての歩みは、はらわたがもだえ、心臓は呻く、そうした歩みでした。けれどもどんなにはらわたがもだえ、心臓が呻き、今の時代が問われていること、国が大きな危機にあることをエレミヤが語っても受け入れてもらえませんでした。エレミヤ書を読み進みますと、エレミヤのこういう言葉があります。
 「主よ、あなたがわたしを惑わし わたしは惑わされて あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ、人が皆わたしを嘲ります。」けれどもエレミヤはどんなに笑い者になっても、嘲られても神さまの御旨を語り続けました。このようにエレミヤは祖国の驕り、高ぶり、罪を自らの罪として背負い込むので苦しんだのです。どんなに苦しんでも、民の罪と自分は無関係だと言えませんでした。

 こうしたエレミヤの姿勢に心を動かされ、最後に心に留めたいことはこういうことです。
 これから皆さんと御一緒に告白する「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」は1967年3月26日、当時の日本基督教団総会議長鈴木正久牧師の名で表明されました。第二次大戦下、日本基督教団は「教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明」しました。朝鮮の教会には神社参拝を強要し、拒否した人が殺されています。この戦争責任の告白の主語は「わたしどもは」です。鈴木正久牧師は、当時の教団の統理であった冨田満牧師を自分の父親のように思えたとき、この告白を表明できたとおっしゃっていました。この告白は戦時下の教会、牧師を弾劾するものではありません。戦時下の教会の過ちは「わたしどもの」のあやまちです。戦後に生きる私たち一人一人がこの国へと招かれているのです。  
 広島の原爆慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と記されています。わたしは広島に12年おりましたが、この原爆慰霊碑の言葉に思いを深くさせられた12年でした。この慰霊碑の「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」の主語は、「わたしたち」です。だれが正しい、だれが過ちを犯した、というのではなく、極端なことをいうなら、世界中の全ての人が、慰霊碑の前に立つ時、われわれは過ちを犯した、再び過ちを繰り返しませんと祈ろう、と招かれています。  
 教団の戦争責任告白と原爆慰霊碑に共通しているのは、過ちは「わたしたち」のあやまちだということです。さらに私たちが思いを深くさせられるのは、どんなときにも、どんなところでも、だれに対しても真実であられるイエスさまがわたしたちは罪を犯しました、と「わたしたち」と一緒に告白しておられるす。わたしたちの罪を、イエスさまが「わたしたちの罪・過ち」と受けとめ、「我らの罪をゆるしたまえ」と祈っておられるのです。こうしたイエスさまを神さまはわたしたちの世界に送ってくださったのです。

 祈りのあと、ご一緒に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を告白しましょう。  
 

(2012年8月5日 平和聖日礼拝説教)