2012. 1.15

「共に祈ってください」

サムエル記下11:6〜13  ローマの信徒への手紙15:30〜33

櫻井重宣



 使徒言行録によりますと、パウロは三度目の伝道旅行が終わりに近づいたころ、エルサレムに行こうとしました。当時、エルサレムは深刻な飢饉に直面し、エルサレム教会のメンバーを含め、エルサレムの町には飢えに苦しむ人々が多くいました。その人たちを助けようとしてパウロが伝道し、創設した教会では、救援募金が集められ、その献金をパウロがエルサレムに届けようとしたのです。 けれども、パウロがユダヤ人でありながら、回心し、洗礼を受け、ユダヤ人でない異邦人に伝道を展開していたので、エルサレムの町には、さらにエルサレム教会のメンバーにはパウロに対し、心穏やかでない人々が多くいました。さらに民族主義にこりかたまった人々はパウロの命をねらっていました。 パウロも不安を覚えたのでしょうか、自らの命の危険すら予測される旅に出発しようとしたとき、ミレトスという町にエフェソ教会の長老たちを呼び寄せ、長老たちにこう語りました。
 「わたしは霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。-----。そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています」と。
 これを聞いたエフェソ教会の長老たちは、非常に悲しんだのですが、パウロと一緒にひざまずいて祈り、港まで行って、パウロを見送りました。
 こうしてパウロはミレトスを旅立ったのですが、旅の途中立ち寄った教会の人々はいずれもパウロにエルサレムに行かないようにとしきりに頼みました。けれどもパウロは「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスのためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」と言って、その決意を翻しませんでした。

 今、司会者にローマの信徒への手紙15章の30節から33節を読んで頂きましたが、この箇所で、エルサレムへと旅立とうとしたパウロがローマの教会に一緒に祈って欲しい、と書き記しています。パウロは不安を覚えています。
 冒頭の30節をもう一度読んでみましょう。
 「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また霊が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。」

 ローマの教会の皆さん、主イエス・キリストによって、また御霊の賜物である愛によってお願いします、「どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください」というのです。
 「どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください」
は、原文は「わたしと心を一つにして共に祈り、共に戦ってください」です。一緒に祈って欲しい、一緒に祈ることにおいて戦ってほしいというのです。
 使徒言行録は、ルカによる福音書を書いたルカが書いた書ですが、ルカは使命に向かって雄々しく進みゆくパウロの姿を描いています。もちろんそこにもパウロのために涙しつつ祈る教会の長老、教会員が描かれていますが、今お読みしたローマの教会への手紙では、一緒に祈って欲しい、一緒に重荷を担ってほしい、一緒に苦しみを共にして欲しい、一緒に戦ってほしい、そのことをイエスさまによって、御霊の賜物である愛によってあなたがたにお願いするというパウロの切々たる思いが記されています。いうならば祈りを必要とするパウロの姿があります。

 どういうことを一緒に戦い、祈ってほしいかということが31節に記されています。
 「わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、」

 これから飢饉で苦しむエルサレムに諸教会から集め、託された献金を届けに行くが、エルサレムには自分を心よく思わない人々が多い、偏狭な民族主義にこりかたまっている人もいる、けれども諸教会の祈りがエルサレム教会に届き、諸教会からの献金をエルサレム教会の人々に受け取ってもらえるよう、祈って欲しいというのです。

 パウロが書き記した手紙が新約聖書に13通ありますが、このローマの教会に宛てた手紙だけでなく、手紙の最後に、「わたしのために祈って欲しい」と記している手紙がいくつかあります。
 エフェソの教会には、「わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるよう、祈ってください」と書き記し、コロサイの教会には「同時にわたしたちのためにも祈ってください」と、また、テサロニケの教会にも「兄弟たち、わたしのためにも祈ってください」と書き記しています。
 宗教改革者のカルヴァンが語っていることを心深く思い起こします。
 「信仰者たちから祈りによって助けられることは、神のまことに大きいいつくしみであるため、パウロのごとき、神の非常にすぐれた器である人でさえ、自分自身のためにこれを軽んじることを欲しなかったほどであるならば、われわれ貧しく・悲惨なもの、無でしかないような人間が、このようにして助けられることを願わないのはなんという無気力さであろうか。」
 パウロの伝道者としてのあれほどの働きの背後に、祈って欲しいと願う気力がありました。パウロの願いに応え、祈りにおいて一緒に戦う友がいました。そうした人々の祈りの支えがあってパウロは伝道者として力強い歩み、働きをなしたのです。

   今から40数年前、神学校卒業を前にして、いよいよ伝道者として立とうとするとき、大きな不安がありました。そのとき、わたしは今ご紹介したカルヴァンの言葉を読んで襟を正されました。祈ってくださいと願う伝道者でありたい、と。そして、そのときウリヤのことも思いました。司会者に先程読んで頂いたところに記されているのですが、ダビデが王になったとき姦淫という大きな過ちを犯してしまいました。罪を犯したダビデはその罪を隠そうとしました。
 ダビデが姦淫を犯した相手は、ウリヤの妻バト・シェバです。ウリヤが王さま、すなわちダビデの命で戦地に赴いていたとき、こともあろうに、ダビデは彼女を宮殿に招き、床を共にしたのです。ダビデはバト・シェバが子を宿したことを伝えられたとき、戦況を尋ねるという名目でウリヤを戦地から呼び寄せました。戦況を聞いた後、ダビデはウリヤに贈り物を持たせ家に帰って休むようにと言いました。けれどもウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰りませんでした。ダビデが、遠征から帰ったのにどうして家に帰らないのかと尋ねますと、ウリヤは「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床をしたりできるでしょうか」と答えました。次の日ダビデはウリヤを招き、食事を共にして酔わせたのですが、ウリヤは家に帰りませんでした。
 ウリヤはどこにいても前線の人々と労苦を共にしようとしています。ローマの教会の人々もそうでした。伝道の第一線にあるパウロのため祈り続けました。そのことを知っていたパウロはローマの教会の人々に祈って欲しいと書き送りました。ローマの教会の人々の祈りに支えられたパウロは、命の危険が予測されてもエルサレムに赴くことができたのです。

 パウロはエルサレムに行って、献金を届けた後、ローマに行き、ローマからイスパニアにという願いを持っていました。ですから、今日の箇所の最後の32節と33節でこう語ります。
 「こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらに行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。」

 「憩う」と訳されている語は、原文では一緒に休息する、一緒に憩うという語です。ローマに行って、ローマの教会の人と一緒に憩いたい、それがパウロの切なる願いでした。そして最後に、平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、と祈ります。祈りにおいて共に励まし合ったローマの教会の皆さんと真の平和、憩いを共にできるようにとパウロは祈るのです。

 先週、新しい年度に向けて、全体懇談会が開催されました。懇談会での皆さんの発言を聞いて、私自身、この5年間どこまで教会に連なる皆さんお一人お一人の痛みを共にし、苦しみを共にし、この教会で御用にあたってきたかが問われた思いでした。そのため、申し訳ないという思いで一週間を過ごしました。パウロがここで、憩い、平和ということを語るのですが、私自身、そうしたものを皆さんに差し出す事ができないでいることを思わされました。
 そうした苦しみの中で、高倉徳太郎牧師の晩年の説教の一節を思い起こしました。高倉牧師は、大正から昭和の初期、信濃町教会で奉仕した牧師です。こういう一節です。
 「わたしは自分自らざんげしなければならぬ。講壇からまた書くことにより、信仰について語るとき、ハートに欠けたものがあったのではないか。皆さまに私は悔いている。本当の感謝、本当の祝福なく、慰めのない福音を語ったのではないかと。兄弟姉妹方がもしも私の高圧的な態度に圧倒されたとか、感謝にみたされなかったなど感じられたならば、私の態度の過ちからである。お許しを戴きたい。この教会の欠点は自分が一番に出している。妥協の意味でなしに私どもは、主の十字架の前に自分から罪を悔いるものでありたい。人を許す、審かないというのではなく、むしろ人から許されたいのである。本当の信頼・平和はただ使命について一致することからではなく、まことの愛の慰め、感謝から生まれるものである。私どもの教会の交わりの中に、福音において作られるハートがなければならぬ。私は自分の罪として祈祷会のことを思う。私どもの教会の中にある、他に対するかげ口・批評・友の弱点、先輩・後輩の欠点への評、これら一切を我々の間からなくしたい、そう祈りたい、十字架の前に誓いたいのである。砕けたる魂によって人の徳を立てる精神が我らを支配し、主の栄光を顕すようにしたい。」
 高倉先生がここで記しておられる思いはわたしの思いそのものです。

   昨日、神学校時代のクラスメートから年賀状がきました。そこに3月で教会を辞任し、隠退すると記されていました。彼は幼いときから、また牧師なってからも病気を繰り返していたので、ここまでよくがんばってきたと思わされたのですが、あらためて、わたし自身、そうした時が近づいていることを思わされました。それだけに、40数年前、教会の皆さんに祈って欲しいと願うことを大切なこととして伝道者になって原点に今一度立ち帰りたいと願うものです。そしてウリヤと前線の兵士たちのような歩み、ローマの教会とパウロの関わりのような歩みをと、強く思わされました。
 パウロは、祈り合ったローマの教会の人々と一緒に憩いたいと願っています。わたしもそう思います。もちろん、真の憩い、休息、平安は、みもとに召されてからですが、教会生活の中でも真のいこいが与えられることが心からの願いです。そのことを願いつつ、御一緒に許される期間、励んでまいりたいと願っています。   

(2012年1月15日 主日礼拝説教)