2010. 5. 9

「霊の賜物を分かち合い、励まし合いたいのです」


詩編34:16〜23 ローマの信徒への手紙1:8〜15

櫻井重宣

 
   使徒パウロは地中海沿岸の町々に三度伝道旅行を行い、各地に教会を形作ったことが使徒言行録に記されています。実は、三回目の伝道旅行の終りに近い頃、コリントの町に三カ月滞在しました。今、私たちが学び始めているローマの信徒への手紙は、この三カ月のコリント滞在中に書き記されたものと思われます。
 ローマの教会はパウロが伝道してできた教会ではありません。けれども、ローマの教会とパウロの間には祈りの交わりがありました。パウロは、できたら伝道旅行の最後にはローマに行って、ローマの教会の人々にお会いし、励まし合い、それからローマの教会の人々に祈ってもらいながら、当時の西の果てのイスパニア、現在のスペインに福音を伝えたい、そういう願いを持っていました。
 けれども、ローマに行く前に、パウロはまず飢饉で苦しむエルサレムに諸教会から集めた献金を届けようとしていました。しかしそのエルサレムにはパウロの命をねらう人がいます、そのため、ローマの教会の皆さん、エルサレムに献金を届けた後ローマに行きたいので祈っていて欲しい、そういう思いでこの手紙をパウロはローマの教会に書き送ったのです。このローマの信徒への手紙は、新約聖書に入っているパウロの13の手紙の中で、最も長く、信仰の道筋、骨格がしっかりした手紙です。パウロはローマに行きたい、イスパニアに行きたいと願いつつも、エルサレムで自分の命がどうなるか分からない、祈りの交わりを持っていたローマの教会にきちんと手紙を書いておきたい、そういう思いでこの手紙を書いたものと思われます。
 さて、今日はローマの信徒への手紙の3回目の学びになるわけですが、1節から7節には、パウロのローマの教会への挨拶が記されていました。そして今朝学ぶ8節から15節にはローマ訪問の願いが記されています。
 もう一度冒頭の8節を読んでみましょう。
 「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。」
 パウロが、ローマの教会に真っ先に感謝の思いを伝えたかったのは、ローマの教会の人々の信仰が全世界に言い伝えられているということです。これは、ローマの教会の人々の信仰が立派だ、信仰が深い、そういうことが、世界中に伝えられているから、神さまに感謝するということではありません。実は、ローマの信徒への手紙において、「信仰」ということは大切なテーマです。私たちは、「信仰」というと、あの人の信仰が深いとか、自分の信仰は浅いという言い方をします。人間の側の姿勢を問題にします。けれども、パウロが、この「信仰」ということで、語ろうとしているのは、神さまの私たちに対する真実、誠実さ、それに対する応答です。大切なことは、人間の側の応答の仕方で神さまのわたしたちへの誠実さが左右されないということです。大事なことは神さまの私たちへの関わりです。神さまという方は、どんなときにも、どんなところでも、誰に対しても真実な方です。神さまは独り子を賜うほどこの世を愛しておられる方です。世界のすべての人を愛しておられます。そうした神さまの真実に、愛に、ローマの町で、アーメンと告白し、礼拝がなされ、そのことが世界中に伝えられていることは、本当に感謝だ、とパウロは言うのです。ルカ福音書を読んでいますと、イエス様は一人の人が悔い改めるとき、天において大きな喜びがある、とおっしゃっています。ですから、一つの町に教会が誕生するということは、天において本当に大きな喜びがあります。ローマに教会が在る、茅ケ崎に教会がある、そのことは本当にうれしいとパウロは神さまに感謝するのです。

 9節と10節でパウロはこう語ります。
 「わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。」
 パウロがローマの教会、教会に連なるお一人お一人のことを覚えて祈っている、それは神さまがよくご存じだ、そしていつの日か、何としてでも、あなたがたのところに行きたい、そうした機会があるように祈っている、というのです。
 どうして、これほどまでパウロがローマに行きたいのか、というと、11節と12節に記されています。
 「あなたがたにぜひ会いたいのは、霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」
 パウロとローマの教会の交わりは一方的ではありません。パウロはローマの教会に霊の賜物をいくらかでも分け与えたい、というのですが、パウロもローマの教会の皆さんにお会いして励ましてもらいたい、慰めてもらいたい、というのです。信仰の交わり、祈り合うということは一方的ではなく、相互的です。
 このことは私たちにとって、とても大切なことです。
 パウロは人生の半ばまで、イエス様を信じる人を迫害していました。イエス様を信じる人を迫害するパウロは、当時のユダヤ社会のエリートでした。家柄を誇り、学歴を誇る人でした。人との比較の中で自分の優位性を誇っていました。そのパウロがダマスコと言う町に行く途中にイエス様、復活されたイエス様にお会いして、180度方向転換したわけですが、パウロが初めてイエス様から言われたことは、「あなたはどうしてわたしを迫害するのか」ということでした。パウロは、イエス様を信じる人を迫害していたのですが、イエス様はどうしてわたしを迫害するのか、とおっしゃったのです。この言葉を聞いたパウロは、イエス様という方は、一人の人がもだえ苦しむ時、御自分ももだえ苦しむ、一人の人が涙するとき、御自分も涙される、そういう方だということがわかり大きな衝撃を受けたのです。それまでのパウロは、だれかが苦しんでいても、その人の問題であって自分には関わりがないこととしていたのです。
 パウロはそういうイエス様にお会いし、イエス様を信じ、伝道者になったので、「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」と語るようなキリスト者になったのです。
 こうした姿勢は、伝道ということにもあらわれます。このローマの教会への手紙より少し先に書かれた手紙か思われますが、パウロがコリントの教会に宛てて書き記した手紙に、伝道のことを記しています。わたしたちもこの茅ケ崎の町で、神様がどんなときにも愛でいます、ということを一人でも多くの人にお伝えしたいと願っています。けれども、わたしたちは、いかがでしょうか、わたしは、神さまの恵みが豊かだ、ということを知ることができた、しかしあの人は未だ知らないのでお伝えしよう、それが伝道だ、と考えます。パウロは、その人に福音を伝えるのは、その人と共に自分も福音にあずかるためだ、というのです。自分が神さまの愛を知っているというだけでは福音に与っている、と言えないというのです。極端な表現でいうとするなら、すべての人が救われて、初めて自分の救いも完成するというのです。それではいつまでも自分の信仰が完成しないのかというと、パウロは完成の時がある、イエス様のもう一度おいでになるときだ、というのです。

 時々、御紹介していることですが、ネパールで長い間医療活動された岩村昇先生が、ネパールの山の中に入って一年目、スランプに陥ってしまったことが『山の上にある病院』という先生の著書に記されています。あまりにも多い病気と深い貧困にある人たちの中で、自分たちの医療が一体何の役に立つのか、そして休む間もなく働くなかで、自分の魂が干からびてきてしまったというのです。そうしたとき、ネパール合同ミッションの総幹事リンデル先生が、岩村先生たちが働いていたタンセンの病院にやってきて、一年間の仕事の報告を聞き、最後の講評のとき、リンデル先生は、こうおっしゃったというのです。「みなさんはこの一年間、数多くのネパールの病気の人に、医療活動を通して親しく交わったのですが、その中から一人の心の友、すなわちネパールの人で、あなたがたが悩みを打ち明けて慰めてもらえるような心の友を得ましたか」と。岩村先生は一年間の歩みを振り返ったとき、そうしたネパールの人で、岩村先生の心の友はいませんでした。そして、それがスランプの大きな原因であることを示されたというのです。岩村先生は、リンデル先生に、そうした心の友を与えられるためにどうすればいいか、と質問したとき、リンデル先生はしばらく考え込んでおられたそうですが、やおら「福音の正しい理解、そして人間理解の深さ」とおっしゃったというのです。
 わたしは、リンデル先生が、「福音の正しい理解、そして人間理解の深さ」とおっしゃったということは、とても大切なことだと思うのです。

 最後に、13節から15節をお読みします。
 「兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。わたしはギリシャ人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。」
 今まで何度も妨げられてきたが、なんとしてもローマに行きたい、ギリシャ人にもそうでない人にも、知恵のある人にもない人にも伝道したい、共に福音にあずかりたいというのです。
 もちろん、パウロは自分ができることに限りがあることはよく知っていました。先程のコリントの教会への手紙で、伝道を語ったところでこう語ります。
 「弱い人には弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してはすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかるためです。」

 神谷美恵子さんという方がおられました。東京女子医専を卒業後、精神科、神経科にお勤めされ、また大学で教えながらハンセン病の療養所に勤務されました。ギリシャ語、ラテン語にも秀でた方でしたが、この方が御自分の生涯を振り返って記した『遍歴』という書物があります。その書の最後に神谷さんはこういうことを書いておられます。
 「生きることは何と重いことだろう。私は今、らいの患者さんに一番親近感をおぼえている。彼らのところへ十五年ちかく通えたことは一生のよろこびであった。何もなしえなかったが、彼らの心の友とさせて頂いたことが光栄である。----- 一生、ちどり歩きのような遍歴だったが、彼らにめぐりあえて、交わりをつづけられたことを最大の恩恵と考えている。」
 リンデル先生、岩村先生、神谷さん、いずれも「霊の賜物を分かち合い、励まし合った」歩みといえます。
 私たちも、小さな、小さな歩みであっても、霊の賜物を分かち合い、励まし合う歩みをなしていきたいと心から願うものです。

         (2010年5月9日 主日礼拝説教)